野球の記録で話したい

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男前!斎藤隆③勝負の年(全3回)|MLB NPB

3年目の2008年、斎藤は万全の体制ではなかった。後半戦に深刻な故障をし長期離脱、マウンドでの実績も2006、2007年よりも明らかに下がっていた。

それは被打率を見れば明白だ。

もともと、右投げの斎藤は、左打者に打ち込まれる傾向にあったが、3年目の2008年は左右共に.200以上打たれている。これは救援投手としては良くない数字である。本塁打は減ったが、四球が増え、打者との力関係が微妙に変化したことがうかがわれる。続きを読む

男前!斎藤隆②名勝負(全3回)|MLB NPB

MLBとNPBの野球で決定的に違うのは、対戦する打者の数である。仮に先発投手が32回登板するとして、NPBなら対戦チームは11チーム(うち6球団はインターリーグ)、当たる打者数はせいぜい100人と言うところだろう。打者1人当たりの打席数は6~7回。これに対し、MLBはナ・リーグなら21チーム、打者数は200人、1人当たりの打席数は3回程度である。リリーフ投手の場合は、さらに当たる回数は限定される。続きを読む

シアトル・マリナーズのお買いもの 投手編|MLB

2009218日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

昨日の野手に続いて投手である。これも長い表になってしまった。先発とリリーフに分けている。

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この表を見てわかることは、良い投手陣とは、分業がきっちりとなされている投手陣なのだということだ。投手の起用方針が明確でなければ勝てないのだ。

この8年間のSEAは、明確な分業のもとに数字を残してきた、ガルシア、モイヤー、ピネイロという先発3本柱を中心とした投手王国が崩れるストーリーである。2001年に5人いた二桁勝利投手が2004年にゼロになる。イチローの262安打した年だが、チームの投手陣はここで崩壊したのだ。

モイヤーが去ったもののヘルナンデスが成長した2007年は希望に満ちた年になったが、2008年、その希望は見事に吹っ飛んだ。先発もリリーフも惨憺たる有様。やたらと起用した先発投手がことごとく裏目に出た。

救援投手に目を向けると、佐々木なきあと、「クローザーを訪ねて三千里」みたいな感じだった。ようやく見つけたプッツだったが、2008年にはこれまた故障と不振にあえいだ挙句、三角トレードでNYMに移ってしまった。このトレード、プッツだけでなく、セットアッパーのグリーン、達者な外野手のリードも移籍している。この穴は相当大きいと思う。

余談だが、2008年、久しぶりにSEAのマウンドに立ったアーサー・ローズはだぶついた体でパッとしない印象だったが、数字上は責任を果たしている。2003年まで在籍した時も優秀なセットアッパーだった。シーズン中に早くもトレードされたが、こういう使い勝手の良い投手こそ大切にすべきではなかったのかと思う。

2009年、残ったのは、馬鹿な年俸の割に働かない投手ばかり。SEAは、ここに至るまでも単年契約で100万ドル以上の高給取りをしばしば補強しているが、ほとんど実績を残していない。無駄遣いは、本当に目に余る。野手以上に深刻な状態である。

ただ詳しく見れば、ベダードは2008年、休んでばかりだったが、出た時はそれなりの数字を残している。シルバは、去年の体たらくを見て愛創が尽きたが、ベダードとヘルナンデスに期待をかけることになろう。しかし、クローザーのめどは立っていない。

まだ、役者がそろわないうちに開演の時が迫っているという感じだ。

■後日談:ヘルナンデスがサイヤング級投手になったのは喜ばしいが、年俸が高いためにシルバをローテーションに入れて、黒星をかなり増やしたことが残念である。2010年は、さらに投手市場は厳しくなるが、どんな補強ができるだろうか。

シアトル・マリナーズのお買いもの 野手編|MLB

2009217日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

補強をめぐって、SEAファンの嘆きますます深い昨今だが、日本のSEAファンにとって原点ともいえる2001年以降、この球団はどんな選手を買ってきたかを、野手、投手に分けてみていきたい。なお、年俸は推定でESPNのサイトから引っ張ってきたものである。すごく長くて恐縮だが、じっくり見ると味がある。

なお、野手はそのポジションに一番多くついた選手をレギュラーとして置いた。数字は他のポジションで出場したものも含めてある。従ってブルームクィストのようなユーティリティプレーヤーは、出場試合が多くてもこの表に載らない。この表で、試合数、出場数が少ない選手が載っているときは、ポジションが定まらなかった=まずい事態、だと考えて良い。

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ひとこととでいえば、116勝した2001年の「栄光のオーダー」からのスクラップ&ビルトの物語である。一つの節目は2005年、捕手のDウィルソン、DHのEマルティネス、一塁のJオルルード、二塁のBブーンと、「栄光のオーダー」が大量に抜けて、新しいメンバーに一気に変わった。この年から、投資がどんどん裏目になっていく。それとともに年俸総額は上がっていき、ついには1億ドルを突破するのだ。

特に感じるのは、イチローの年俸と比してあまりにも高いと思われる選手たちのふがいなさである。イチローが年俸チーム1になったのは、2005年と2008年だけである。

良く言われるように2002年までGMの任にあったパット・ギリックと、その後任であるビル・バヴェジの手腕の差なのかもしれない。

 

2008年のどん底転落によって、2009年はまたもや再建の年を迎えざるを得なくなった。アブレイユ、グリフィと大魚を逃しているが、このままでは若手の奇跡的な成長でもない限り、お寒い結果になりそうである。

 

 

 

 

 

 

 

■後日談:GM交代によって、2009年の補強はある程度意味があったと思われる。ただし、精神的支柱グリフィは1年寿命が伸びたものの、チームの本塁打王ブラニャンがFAになるなど、予断を許さない状況である。

井川慶、元気か?|MLB

【2009年2月11日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

今年も憂鬱な1年がはじまる、と思っているかもしれない。同じ年にMLBに渡った松坂を光とすれば、すっかり影の存在になった感がある井川である。

NPBの実績は、まさに堂々たるものである。松坂もなしえていない20勝を挙げているし、完封数も見事なものだ。01年から06年までの6シーズンで84勝56敗、完投35、完封15。同時期の松坂は78勝48敗、完投60、完封14。そん色がない。左腕でもあるし、NYYが“松坂クラス”と思ったとしても無理はない。

しかし、MLBへ行ってからのこの大きな差は、本当にどうしたことだろうと思う。

実質的な試用期間は、2007年の4月から5/4までの6回の登板だった。同じ時期の記録を松坂と比べてみよう。

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立ち上がりのわずか6試合、しかも内容的に松坂と決定的な差はないのに、どうして井川だけが失格の烙印を押されたのか。一言でいえば「学習力」の差だと思う。松坂が登板を重ねながら少しずつ修正をし、MLBに適応していったのに、井川は良い日があるかと思えばまた逆戻りする。何かをつかんで投球が変わったのではなく、調子が良ければ通用するという内容に終始したのだ。下位チームならともかくNYYで、この種の投手が先発をつとめるのは難しいのだろう。

井川は、阪神時代も他の選手とあまり交流のない投手だと言われた。MLBに移ってからも文化の違いを埋めたり、チームや上層部と交流を深めることには積極的でなかったといわれる。入団会見でのあの恐ろしく稚拙な英語のコメントを思い出すが、そうした子供っぽい部分が、MLBではマイナスに働いたのかもしれない。日本では野球バカでも通用するが(例えば中田翔)、アメリカでは選手である以前に一個の独立した人間として、野球以外のことにもちゃんと渡り合うことが求められているのだと思う。

以後、マイナーリーグに沈んだ井川は、2008年もチャンスらしいチャンスは与えられることはなかった。マイナーでは、彼はどんな成績を上げていたのか。

井川の2008年までのSTATSで彼の現状を見てみよう。

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井川は2008年AAAのインターナショナルリーグで最多勝争いをし(2位)、防御率は4位、リーグを代表する投手になっていた。

のんきなこの男は、MLBではなく、マイナーリーグですっかり適応していたのだ。なんとなく笑いを誘う話ではある。ただし、こういう形で安住してしまった投手が、MLBで再び活躍するケースはそれほど多くない。

2009年、NYYは井川にほとんどチャンスを与えないだろう。すでに全く信頼されていないからだ。年俸が凄まじく高い(400万ドル)ため、獲得に動くチームも少ない。

今、井川に必要なのはぬるま湯のような現実に甘んじるのではなく、自分の意思で事態を打開することだ。年俸を破棄してでも、他チームに移ったらどうなのか。

■後日談:今年はついにNYYで姿を見なかった井川である。すでに日本人投手の3Aでの通算記録を更新しているのではないか。達観したような2009年だった。

ジアンビはA-RODをどう思っているのか?|MLB

2009211日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

konootoko上は、ほぼ同時期にアリーグで活躍した、ジアンビ、A-ROD、マ二―・ラミレスのSTATSである。

BS1を見ていたら、オバマの記者会見をやっていて、ESPNの記者が「アレックス・ロドリゲスが薬物使用を認めましたが?」と質問していた。A-RODの薬物使用していたのは6年も前の話なんだけど、と言いたかったが、マスコミにとっては格好のネタなのだ。この点、日本もアメリカも変わらない。オバマは「私も残念だ」みたいなことをいっていた。要するにA-RODの一件は、大統領の記者会見でも取り上げられるような天下の大ごとになったわけだ。

ところで、昨日、薬物疑惑のことをブログにした時に、一人、大物を忘れていた。ジェイソン・ジアンビだ。彼はアリーグしか知らない男だから、一連の薬物疑惑は打者に限りナリーグが舞台だ、とは言い切れない。訂正させていただく。

今ではジアンビは、盛りを過ぎたスラッガーであり、2008年などは、引っ張り一本やりの彼のために敵が編み出した「ジアンビシフト」の裏をかいて、流し打ちでせこい安打を稼いだりしていたが、ある時期まではアリーグの最強打者だった。

そのことが、上の表でもよくわかる。

2000年、2001年は、OPSでもRCでもRC27でもリーグ最高。2000年はMVP、2001年はイチローにMVPを奪われたが2位だった。特に1試合あたりの打撃の濃度を示すRC27の数字がすさまじい。ジアンビは長打力だけでなく、選球眼も抜群で、その点でもナのボンズに対抗するアの最強打者だったのだ。これが薬物のおかげなのかどうかは判断できない。ただ、99年ごろから長打力が急伸しているのが気になるところだ。

これが、2003年に薬物疑惑が浮上すると成績が落ち始め、2004年に薬物使用を議会で証言。その前後に腫瘍があることがわかり、野球どころではなくなっていくのだ。マグワィアのように引退するかと思ったが、さにあらず。打率は急落し、長打力も錆びつき始めたが現役を続行する。2005年にはカムバック賞をもらったが、往時のすごさはもはやない。2009年はNYYを追われ、8年ぶりに古巣のOAKに復帰することになった。

ジアンビは今、NYYの同僚だったA-RODのことをどう思っているのだろうか。正直に薬物服用をカミングアウトし、世間の非難の目を背中に感じながら苦闘してきたジアンビにとって、同時期に薬物使用を隠して素知らぬ顔で自分を追い抜いて行ったA-RODは、卑怯者に映っているかもしれない。

真偽のほどは知らないが、NYYの前監督であるLAD監督のジョー・トーリは、NYYの暴露本でA-RODのことを詐欺師と書いているという。これ、今回の薬物疑惑と関係があるのだろうか。

それから、もう一人の大物、マニー・ラミレスは2003年の薬物検査で陽性は出なかったのだろうか。

■後日談:結局、ナチュラルな強打者はプホルズぐらいしかいないということに落ち着いている今日この頃である。

わからん!A-ROD|MLB

2009210日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

今、A-ROD周辺でいろいろ騒がれていることは、6年も前のことだ。MLBが不作為で実施した薬物調査で、彼を含む104人の選手が陽性反応を示した。MLBでは、薬物規制は2005年からの話なのでそれ自体、罰則はない。

では、何が問題かと言うと、当時すでに薬物問題が大きくクローズアップされていたにも関わらず、A-RODまでもが薬物に手を染めていたこと、それを彼が自主的に告白しなかったことだろう。

これからどんな展開になるのかはさっぱりわからない。A-RODの殿堂入りはこれで消えた、という声もあるがどうだろうか。

ただ言えるのは、少なくとも規制の直前まで、MLBの選手の一部は、成績を上げるための「努力」の一つとして薬物(サプリメント)を普通に服用していた。ということだ。

以下は、MLBの一連の薬物騒動と、主要な本塁打者の記録、そしてリーグの本塁打率を時系列で並べたものである。

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これを見ると、いくつかのことが分かる。

従来の薬物疑惑は、こと打者に関する限りナショナルリーグを主たる舞台としている。そして、本塁打に関する限り異常現象は、98年から2001年に集中しているということだ。

98年にナショナルリーグの本塁打率が跳ね上がり、マグワイアとソーサの本塁打競争曲が開幕。追いかけるようにボンズの体重が急増し、70本クラブに加入。この3人の本塁打王が異常な本数を打ったのは、この4年間(のうちの3年)に限られているのだ。

A-RODは、一連の疑惑の本塁打王とは、多くの点で異なっている。彼はアリーグの選手であり、3人の疑惑の本塁打王とはピークが違う。しかも、2003年以降も本塁打数は落ちていない。

端的な疑問として、A-RODは何のために薬物を使用していたのかがわからない。この数字を見る限り、薬物は何ら役に立っていない。2003年以降も薬物を使用し続けているのなら話は別だが。

また、97~99年にアリーグでハイレベルで本塁打を量産していたグリフィはこの問題と関係はないのか。

今回の騒動ではA-RODだけでなく、100人を超す選手が薬物使用で引っ掛かっていたことが明るみに出た。その名前がすべて公開されれば、大きなインパクトを与えるだろう。彼らはリスクを冒して2003年に至っても、薬物を使用していた。ファンを裏切っていたのだ。黒に近い選手の数は急増するだろう。

結局、薬物に対するMLB選手の認識は、そうとう甘いということは言えるだろう。そして、何とか逃げおおせようとする意識が不信を生んでいる。下手をすればこの時期の記録全体が「参考記録」になる可能性があるのではないか。

 ■後日談:2009年はマニー・ラミレス、オルティーズが薬物によって、不満足なシーズンを送ることになった。個人的には、この手の話は終わりにしていただきたいのだが。

男前!斎藤隆③勝負の年(全3回)|MLB NPB

2009211日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

3年目の2008年、斎藤は万全の体制ではなかった。後半戦に深刻な故障をし長期離脱、マウンドでの実績も2006、2007年よりも明らかに下がっていた。

それは被打率を見れば明白だ。

もともと、右投げの斎藤は、左打者に打ち込まれる傾向にあったが、3年目の2008年は左右共に.200以上打たれている。これは救援投手としては良くない数字である。本塁打は減ったが、四球が増え、打者との力関係が微妙に変化したことがうかがわれる。

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2009年ははじめてのア・リーグ、BOSでのシーズンを迎える。故障持ちで今年中に39歳を迎える斎藤をとるのは、ダメもとの意味もあるのか、とも思ったが、今年のBOSの救援ロースターを見る限り、そうではないと思われる。

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救援投手の中で斎藤は最高年俸なのだ。クローザーは働き盛りのパベルボンで決定。また左のセットアッパーは、岡島と使い減りのしないハビア・ロペスがいるが、右は先発の可能性もあるマスターソン、デルカーメンがいるもののピリッとせず、移籍組のラモン・ラミレスと岡島に相当の期待がかかっている。

ア・リーグの打者とは対戦数が少ないだけに、斎藤が普通の調子であればまだ通用する可能性は高い。故障がいえていれば、岡島とともに日本人のセットアッパーが左右の両輪となる可能性もある。

ただ、本人の気持を忖度すれば、斎藤は十分に満足しているのではないかと思う。日本でリタイアしてもおかしくない年齢からMLBにわたり、最もレベルの高い舞台で活躍できた。これって、男の夢ではないかと思う。

今、斎藤は野球を楽しむ境地にあるのではないか。

■後日談:2009年は56試合に投げて3勝3敗2SVERA2.43、WHIP1.35。WHIPはやや高いが、まず満足できる成績だ。2010年の斎藤はまだ期待できそうだ。12月4日、ATLへの移籍が決定。まず、喜ばしい。

男前!斎藤隆②名勝負(全3回)|MLB NPB

2009211日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

MLBとNPBの野球で決定的に違うのは、対戦する打者の数である。仮に先発投手が32回登板するとして、NPBなら対戦チームは11チーム(うち6球団はインターリーグ)、当たる打者数はせいぜい100人と言うところだろう。打者1人当たりの打席数は6~7回。これに対し、MLBはナ・リーグなら21チーム、打者数は200人、1人当たりの打席数は3回程度である。リリーフ投手の場合は、さらに当たる回数は限定される。

斎藤が3シーズンであたった打者の数は263人。対戦数が一番多いのは、マット・ホリデ―、ランディ・ウィンの11打席である。対戦した263人のうち、安打を打たれたのは84人、うち2安打以上打たれたのは19人にすぎない。

斎藤から2安打以上奪った現役選手を並べてみる。

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左打者が多いようだが、傾向ははっきりしない。斎藤をカモにするARIのバーンズは俊足の右打者だが、2008年の打率は.206にすぎない。斎藤は9本塁打を打たれているが、2本打たれた打者はいない。

 

 

 

 

同じナ・リーグ西地区ということで、バリー・ボンズとの対戦はいかに、と思って調べ始めた。ちなみにボンズは、LAの先輩の野茂英雄がMLBで最も多く対戦した打者であり、59回の対戦で12安打を打たれ被打率.267、被本塁打4、三振11、四球11、敬遠3という記録が残っている。

1打席ずつの記録を調べ始めて、じわっとため息が出た。6回の対戦成績を味わっていただきたい。

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ボンズは、6度の対戦、33球投じられた斎藤の球を、ただの一度も空振りしていないのだ。ストライクはすべて見逃しかファウル。凡打も2つ取っているが、三振は1度も取れていない。そして3四球の内、1敬遠を除く2つは、フルカウントからボールを見極めたものだ。

ボンズと対戦した6試合のうち、5試合でSv、BlSvを取ってはいるが、斎藤はボンズを打ち取ったという感じがしなかっただろう。

ボンズの恐ろしさは、この斎藤との対戦にも端的に表れている。フリー・スゥインガーとは全く異質の存在なのだ。

このボンズとの対戦だけでも、斎藤はMLBに来た値打ちがあったと思っているのではないだろうか。

 ■後日談:これを書いた時点でボンズはまだ現役選手のように思っていたが、今では歴史上の存在のように思える。フランク・トーマスなどもそうだ。歴史が積み重なるスピードの速さを思う。

男前!斎藤隆① 完全燃焼を求めて(全3回)|MLB NPB

2009210日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

今のMLB中継は圧倒的にア・リーグが多い。斎藤隆の活躍は毎日、BS1のMLBのレビューで確認するしかない。1分足らずの映像だが、それでも斎藤の気迫は伝わってくる。どんな打者であろうとも、真正面からぶつかる気合いのマウンドである。日本では最高153km/hだった球速が159 km/hにまで上がったという。またスライダーのキレも増したという。36歳を過ぎての話である。

斎藤は、なぜ、こんなにMLBへ来てから伸びたのか。ベテランなのに心身ともに充実しているのか。メンタルな面は斎藤本人に聞くしかないのだが、ことSTATSで見る限り、こんなストーリーを描くことが可能である。

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斎藤隆は、佐々木主浩の2年後輩で、東北高校、東北福祉大、そして横浜(大洋)と同じキャリアを重ねてきた。佐々木は高校時代から絶対的なエース、大学時代には故障がちではあったが、ドラフトでは野茂英雄に次ぐ評価だった。斎藤は、中学時代から佐々木を兄貴分として仰ぎ見て育った。二人の付き合いは。プロ入りの時点ですでに9年に及んでいる。

斎藤は先発投手としてキャリアを重ねるが、負けの多い二流のスターターだった。97年にはいわゆる「ねずみ」(遊離軟骨)除去の手術をして翌年カムバック。この年は佐々木が記録的な活躍をするが、斎藤も先発中継ぎと奮闘し、優勝に貢献した。

しかし2000年に佐々木がSEAに移籍すると、その翌年から斎藤は佐々木の穴を埋める形でリリーフに転向、しかし2年で再び先発に転向、さらに佐々木が復帰した2004年から2年は、衰えの見える佐々木をフォローして先発、リリーフ両刀遣いとなった。

横浜と言う下位チームの煮え切らない采配のせいもあろうが、斎藤は常に便利使いをされる存在だった。特に佐々木との関係では、その不在を埋めたり、力の衰えを補ったりする影の存在だった。そんな形で14年間のプロ生活を終えて、斎藤には、不完全燃焼の悔いが残ったのではないか。また、肉体的にも徹底的に鍛え上げたという充実感がなかったのではないか。

NPBでもMLBでも、絶対的なクローザーとして君臨した佐々木の存在は、斎藤にはまぶしかったのではないか。

その佐々木が現役生活にピリオドを打った翌年に、斎藤がMLBに挑戦したのは無関係ではないと思う。

マウンドに上がることを本当に喜んでいるような彼の投球は、長い不完全燃焼のカタストロフィではないかと思う。斎藤のMLB3年間のWHIPは、佐々木のそれを上回っている。

 ■後日談:12月1日現在、斎藤はマイナーのFA扱いになっている。しかし利用価値はあるとされているようで、何球団かが注目しているうえに、BOSと再契約する可能性もある。

大家よ、思えば遠くに来たものだ|MLB NPB

200929日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

横浜での5年間、鳴かず飛ばずだった投手がアメリカに渡ったのは1999年のことである。この年、野茂は不振のためメッツを追われ、ブリュワーズに移籍している。BOSの機構内に入った大家はAAからアメリカでのキャリアを開始している。

大家はAAで12登板8勝を挙げてAAAに昇格、ここでも12試合で7勝を挙げてこの年にMLBにデビューしている。今年BOSに入った田澤も順調にいけば、全く同じステップを踏むはずである。

以後、大家は浮き沈みの激しい野球人生を送る。彼の長いキャリアSTATSは以下のとおりである。

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一人の男の人生を見るような、実に味わい深いSTATSである。

MLBでのピークは2001年から2005年まで、MONと言う弱小球団のエース格として活躍する。しかし2005年にこのチームが破たんしてWASとなるとともにMilへ移籍、そこでの不振によって6年ぶりにマイナーリーグを経験するはめになった。

普通なら、この時点でリタイアしても不思議ではない。しかし大家は以後もAAAとMLBを往復しながら必死で這いあがろうとしているのである。

彼ほどMLBのライフスタイルについて知っている日本人はまずいないだろう。2007年はAAAでも散々の成績。MIL傘下からSTL、SEAへと移籍を繰り返した揚句にクビ。2008年はついにMLBに上がれず、CWC傘下のAAAでシーズンを過ごす。ここではそこそこの成績だったのだが、勝ち星には恵まれなかった。

そして2009年はCLE傘下で再びMLBを目指すことになる。

 私は、大家の頑張りをNPBの選手にも見習ってほしいと思う。NPBで大した成績も上げていないのに、MLB移籍を宣言して、オファーがないとみるや、再びNPBのチームにしっぽを振って入れてもらっている選手の面々は、真剣さが足りないと思う。中には日本ハムの稲葉のように、袖にしたMLBを見返すような大物に成長した選手もいるが、そこまでの覚悟もなく、あわよくば日本の数倍の年収を手にしたいという考えの選手がいるとすれば、それはNPBのぬるま湯を表していると思う。

大家には、MLBとは何かを語る資格がある。もっと頑張ってほしいが、たとえ引退したとしても、彼はMLBとNPBの橋渡しで大きな仕事ができるのではないか。

 ■後日談:2009年大家は久々にMLBで投げた。胸のすく快投とまではいかなかった。契約は難しいであろう。行方が気になる選手である。

松坂大輔の議 その⑤(5回連続) 2009年はどうなる?|MLB

200928日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

さらに松坂の投球を調べる。今年、面白いのは、打順別のSTATSである。

この記録を見ると、2008年、松坂は4、8番打者によく打たれている。2007年は中軸の5、6番打者に打たれていた。また、2007年は1番から6番までの出塁率が3割を超えていたが、今年はそれが途切れている。

これは、何を示しているのか。松坂は上位打線により神経を集中させ、打線を分断できるようになったのだと思う。それだけに、気を許して8番に痛打を許すようになったのは問題だが、要所を締めることができるようになったのだと思う。

続いて、各打者との対戦成績を見てみよう。対戦するチームが多いMLBでは、各打者との対戦打席数は多くない。偶然や好不調に左右される部分が多いと思われるが、それでも傾向は現れる。以下に松坂を打ち込んだベスト20と、抑え込んだ打者を上げてみよう。

打たれている打者は左が多い。セオリー通りと言えるだろう。イチローは、6回の打席で5度出塁している。2007年は12の1で完全に抑え込んでいたから、リベンジされたのだ。印象として、シュアな打者、特にリードオフマンタイプに良く打たれているということだ。

反対に、抑え込んでいる打者にはチームの主力、長距離打者が多い。これを見ても、松坂は要所を締めているという印象だ。

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この記録を見ると、2008年、松坂は4、8番打者によく打たれている。2007年は中軸の56番打者に打たれていた。また、2007年は1番から6番までの出塁率が3割を超えていたが、今年はそれが途切れている。 


これは、何を示しているのか。松坂は上位打線により神経を集中させ、打線を分断できるようになったのだと思う。それだけに、気を許して8番に痛打を許すようになったのは問題だが、要所を締めることができるようになったのだと思う。



続いて、各打者との対戦成績を見てみよう。対戦するチームが多いMLBでは、各打者との対戦打席数は多くない。偶然や好不調に左右される部分が多いと思われるが、それでも傾向は現れる。以下に松坂を打ち込んだベスト20と、抑え込んだ打者を上げてみよう。

 

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打たれている打者は左が多い。セオリー通りと言えるだろう。イチローは、6回の打席で5度出塁している。2007年は12の1で完全に抑え込んでいたから、リベンジされたのだ。印象として、シュアな打者、特にリードオフマンタイプに良く打たれているということだ。

反対に、抑え込んでいる打者にはチームの主力、長距離打者が多い。これを見ても、松坂は要所を締めているという印象だ。

今年の松坂のSTATSを考える上で、いくつかのポイントが挙げられる。これを一つ一つ検証することで、見えてくるものがあると思う。

①WBCの影響はどうなのか?

②投球数の制限は今年も100球か?

③松坂は今年も球数が多いのか?

④今年もNYYとの対戦は少ないのか?

⑤最終的なSTATSは?

→①2006年、第一回WBCで松坂はMVPを獲得したが、同時にこのNPB最終年に、17勝5敗、防御率2.15という最高の成績を上げている。ただし投球回数は186回と多くない。総合して考えるなら、WBCの影響で成績が下がることはそれほどなさそうだ。むしろ、モチベーションを上げることで、好成績につながる可能性は高い。

→②投球数の制限は、変わることはないだろう。ハラデーのように完投をするためには、今のような大崩れを最小限にすべきだ。チームは100球で完投せよと言っているのではない。100球で7~8回までいって、なお安定感があれば120球くらいまでは投げさせるのだ。5回まで行くのが精いっぱいだという印象を払しょくする必要がある。

→③松坂は、「野球はカウント3-2まで、満塁まで」という哲学を持っているように思う。これを変えることはもはやないのではないか。ただ、初球、先頭打者に弱いという明白なポイントを改善すれば、アウトカウントはより早くとれるようになる。5%くらいの改善はあるのではないか。

→④これはBOSのローテーション投手とのかかわりが大きい。2009年のBOSのロースターでは、ベケット、レスター、松坂に加えて、40歳のスモルツ、ウエークフィールドが候補となる。さらには、LAAから移籍したBペニー、バクホルツ、マスターソンが先発の座を争うだろう。ウエークフィールドは昨年、全く衰えの影を見せなかったが、やはり40歳である。スモルツの調整具合とともに、今年はNYYの正面作戦に、松坂が出てくる可能性は大いにある。NYY新加入のティシェーラは、過去2度しか対戦がない(2-1)が、この新主軸を押えれば、通用する可能性はある。大切なのは、4/24からのNYY3連戦で松坂がパフォーマンスを示すことだろう。

→⑤昨年、松坂は2904球。4000球を投げた2001年の翌年は、さすがに成績が落ちたが、3300球くらいなら普通には投げられそうだ。DL入りしなければ登板数は32回。その上で2008年の1回当たりの投球数17.4球が5%改善されるとすれば、200回程度は投げられそうである。1試合の投球回数は6.3回(2008年は5.8回)。防御率は今年並みの3点台フラット。強いチームとも当たるので負け数は増える。で、最終は

  2007 15勝12敗 204.2回 防御率4.40

 2008 18勝03敗 167.2回 防御率2.90

 2009 20勝07敗 200.0回 防御率3.00

 サイヤング賞の候補になる可能性はあると思う。

 ■後日談:ここまで外れるとむしろ爽快である。WBCによる春先の調整不足は、多くの選手に影響を与えたが、その最大の被害者が松坂だということだ。

松坂大輔の議 その④(5回連続) 掩護射撃|MLB

200927日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

2008年の松坂は、彼の登板の時に限って味方打線が活発になった、運が良かったのだ。という話をよく聞いた。本当なのか、調べてみた。2日かかった。162試合を一つ一つ集計していった。多少間違いがあるかもしれないが、概ねこの表のとおりだ。

松坂44-1

 

 

 

 

 

確かに松坂登板時の打率は、他の先発投手よりも高い。本塁打も40本と最多である。ただ、予想していたほどのことはなかった。チーム打率が.280で、松坂の時の打率が.290、他の投手とも大きな差があるわけではない。

松坂の登板と打線の関係をゲームごとに追いかけてみる。

松坂44-2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月から5月にかけて、BOSの打線は非常に好調で、4月は27試合で14試合、5月は22日までの20試合で14試合、チーム打率が3割を超えていた。この時期に松坂は8回も登板している。これが大きかった。チームの打線には確かにバイオリズムのようなものがあって、5/23からの30試合では6回しか3割を超えていない。この時期に松坂はDL入りしていたのだ。運が良いと言えばその通り。松坂の登板と、打線の相関関係はあまりないのではないか。

強いて挙げれば、打ちあいになりがちなインターリーグや、BAL戦など、チームの通算打率が3割を超えている対戦が多かったことが挙げられようか。

 こうして全試合のローテーションを調べていて、一番気になったのは、チームの松坂に対する起用方針である。率直に言えば、NYYの登板を回避させていたのではないか。考えすぎかもしれないが、彼は2008年、2回しか登板していない。以下がNYY戦の先発投手と、打線の関係である。

 

松坂44-3

 

 

 

 

 

 

 

 

 松坂は、4月の最初のシリーズで登板しただけで、あとは最終盤、すでにNYYのポストシーズン進出が絶望的になるまで登板がなかったのである。これは寂しい。チームはNYY戦をベケットとウェークフィールドを軸に組み立てていたようで、松坂はローテンション上巡り合わなかったとか、DLとか、登板回避とかもあったにせよ、積極的には使われていないのだ。

これ、やはりチームが松坂に対してどのように評価していたかの一端を表していると思う。松坂は、強いチーム用の投手と言うより、価値を稼ぐ試合用だったのではないか。松坂の課題は多いと言わざるを得ない。

 ■後日談:今年のNYYには、松坂は歯が立たなかったであろう。特に左のタシェアラには打ちこまれたように思う。2010年の奮起を期待したい。 

松坂大輔の議 その③(5回連続) じっくり勝負する男|MLB

200926日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

2008年、アリーグで規定投球回数に達した投手をいろいろなSTATSで比較した。

今回は、松坂自身のより細かなSTATSを見てみよう。

まずは、シチュエーション別のSTATSである。

松坂3-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 良く知られたことだが、松坂は2008年、満塁で一度も安打を打たれていない。これは驚異的なことである。また、スコアリングポジションでの被打率も.164。ピンチに絶対的に強かったのである。これは、言い換えればセットポジションでの投球術が優れているということなのかもしれない。

次にカウント別のSTATSである。

松坂3-2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細かなカウント別でみると、松坂は初球を痛打されていることが分かる。また、1ストライク、1ストライク1ボールからの被打率も高い。これは、松坂がストライクから入ったときには打たれやすいということだ。

反対に、ボール3からの被打率は.171、さすがに四球が5割を超えているから、ほめられたものではないが、松坂はボールを多投して勝負をしているのだ。

これを端的にみるために、今度は投球数別に調べてみた。これはあくまでカウントされたボールで、ファウルボールは数えていない。(そこまでのSTATSが入手できなかった)さらには、同じ記録の2007年も並べてみる。非常に面白いことがわかった。

松坂3-3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007年と2008年で、松坂が大きく進化したものがあるとすれば、ボールカウント2-1、1-2、ボール3以降の勝負で、圧勝するようになったということだ。

そのカウント以降の被打率、被本塁打、被打点もすべて良くなっている。特に、2-2、3-1以降では、本塁打は0である。この集中力こそが、好成績の秘密だったと思われる。

となれば、課題は、立ち上がりの脆弱さである。ボールから入り、カウントをたくさん重ねなければ勝負できない、という松坂の本質的なピッチングスタイルはなかなか変わらないだろうが、それならばせめて出会いがしらの痛打を避けることだ。バッターも初球のストライクに山を張ってきているはずだ。ここでの勝負が焦点ではないか。


■後日談:立ち上がりに弱かったのは今年も変わらない。2009年は早い回に火だるまになった。シェフィールドに痛打されたのが記憶に残る。

松坂大輔の議 その②(5回連続) 出入りの激しい|MLB

200925日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

2008年、アリーグで規定投球回数に達した投手をいろいろなSTATSで比較した。松坂2

 

 

まず、今のMLB先発投手の投球数の目安とされる100球でどこまで投げられるか。球数の多い松坂は、当然のことながら非常に悪い。6回投げられないのである。

6回を3失点以内に抑えることをQS(Quality Start)といい、先発投手の最低の義務とされるが、そもそも松坂はその最低基準を満たしていないのである。。

悪い方を見れば、四球数ではリーグ1位。完投すれば5回歩かせる計算だ。

しかしながら、奪三振、被安打、自責点ではリーグ上位。前回も述べたが、松坂は最も安打が打ちにくく、攻略しにくい投手なのだ。

普通、投球数、四球数が多い投手は、防御率が悪く、勝ち星も稼げないはずだが、松坂は例外的なのだ。

この出入りの大きいSTATSの結果、MLB関係者が重要視するWHIP(1回あたりの安打、四球数の合計)は、中位に沈んでいる。

今年、地元BOSのファンは、自チームの最優秀投手に18勝の松坂ではなく、16勝のレスターを選んだ。これは、球数が多くていつもいらいらする松坂よりも、レスターを評価したということだ。STATS的に言えば、WHIPでレスターの方が良いこと、さらに投球回数で松坂が下から2番目であることも響いたのだろう。非常に目の肥えたファンだというべきだ。

このでこぼこしたSTATSこそが、松坂らしいと言えばいえるのだが、それが信頼感を損なっていることも間違いがない。

 

■後日談:2009年は信頼が戻ることはなかった。ワイルドカードは得ることができたが、松坂は重要戦犯の一人ではあろう。

松坂大輔の議 その①(5回連続) 球数が必要な男|MLB

200924日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

松坂が、MLBでどれほど特殊な投手か、端的なSTATSを1つ上げてみよう。

これは、1回当たりに投げた投球数のワースト10である。

松坂1-1

 

 

 

 

 

 

 2008年、MLBのアリーグでは40人ほどの投手が規定投球回数に達したが、ここに並んでいる投手たちは、先発投手として最も防御率が悪い一団であり、先発投手としてチームに貢献したというよりは、迷惑をかけたグループである。ただ一人、松坂を除いては。

「あんなに球数が多くて、やつはなぜ打ち込まれないんだ」

スコアラーの間で何度もささやかれたはずだ。

NPBで投げていたとき、松坂はどんな投手だったのだろう。もちろん、私は彼にずっと注目していたが、西武の試合は中継が頻繁にあるわけでなし、記録でチェックすることのほうが多かった。その限りでは、彼はよく完投する「力投型」の投手であり、最も安打を打たれない投手だ、という程度の認識だったのだが。

プロ入りから2008年までのSTATSを並べてみてみることにした。注目したのは、投球数である。NP(Number of Pitch)は、MLBでは選手との契約が口やかましくなった80年代半ばからカウントされる様になり、今では公式のSTATSに入っているが、NPBでは新聞社などがごく一部の投手について記録しているに過ぎない。松坂はその数少ない一人なのだ。

松坂1-2

松坂1-3

松坂はNPBデビューから数年、1イニングで16~17球を投げる投手だった。これは、同時期の上原と比較しても相当多い。

それがMLBに移る前年には15.6まで落ちている。わずか1~2球の差だが、実はこれが大きな差なのだ。15.6は、2008年のアリーグでは3位に相当する。そこまで、球数を絞り込むことができた男が、MLBに来たとたん、再びデビュー時に等しい球数を投げるようになった。

これは、対戦経験のない打者に対して松坂が慎重になった、と捉えられるように思う。また、対戦する打者がNPBより、MLBのほうがじっくり見ているからかも知れないとも思われる。

しかし、それだけでは、2007年よりさらに0.4球も多く投げた2008年のほうが防御率がぐんと良くなった説明が付かない。いったいなぜなのか?

このSTATSを見ていて、私が思ったのは、「松坂はわざと去年より多く投げているのではないか」ということだ。少なくとも球数を節約しようとはしていない。ボールカウントは3-2まであるのだから、また例え歩かせても満塁まで点は取られないのだから、じっくり攻略しよう。

その根拠になっているのは、彼のこれまでの実績である。STATSを見ればわかるとおり、松坂は西武時代、ほとんど先発で、先発すれば120球前後を投げ、完投すれば130球を越す球数を投げてきた男である。100球に球数が制限されたからといって、球数を節約して打たせてとるような投法はできない。まして、相手は手の内がわからない打者ばかりである。じっくり勝負をしよう。そういう心の切り替えがあって、こんなSTATSが生まれたのではないか。

凡百の二流投手が無駄球を積み重ねて投球数を増やしているのとは異なり、松坂は「必要だから球数を投げている」のである。

2007年から2008年へ、フランコナーらBOS首脳陣の松坂への締め付けはますます厳しくなって、1試合あたりの球数は108.7から100.1になった。

松坂は言いたいはずである。「もう20球投げさせてくれたら、5勝はプラスできますよ」。

MLB中継で見る彼の、駄々っ子のような表情が少しわかった気がした。

今日のニュースでは、ブルペンで132球を投げたそうである。BOS首脳の渋面が目に浮かぶ。

■後日談:これから5回続けて紹介した松坂の特質が、すべて裏目に出たのが2009年だった。

RC、RC27で見るMLB歴代打者ランキング|MLB

200924日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事 一部改稿】 

RC、RC27は、なかなか素晴らしいSTATSではないか、と思われる。

これでMLBの100年を超す歴史の中の歴代選手のランキングができないものか?

多くの障害がある。1つは、STATSのうちで、昔は記録されていないものが結構あるのだ。盗塁刺、犠打、犠飛、併殺打などのSTATSは、20世紀初頭まで記録されていない。また19世紀には三振の記録も取られていない時期があった。

これをどうするのか?小さな数値は0ということにし、盗塁刺は盗塁の20%と設定して、無理やりデータを作ってみた。だからお断りするが、この数値は相当大雑把なものです。公式なものではありません。

ベスト100+気になる選手たち。長い表ですが。

RCRC27ALL

ランキングには、一定の整合性がある。RCのベスト10のメンバーは、誰もが納得するメンバーではないだろうか。ボンズは本塁打に加え、盗塁の多さがモノを言っている。師匠であるWメイズとよく似た傾向だ。お父さんのボビーは、ずっと下だ。

それからスモールボールの元祖のようなカッブは、RCでもRC27でも10位以内。ルースが本塁打革命を起こす前は、カッブのようなタイプが強打者だったのだ。二塁打歴代最多のスピーカー(日本で学生相手に大本塁打を打ったが)もそのタイプですね。

密度の濃さでいえば、ルース、Tウィリアムスは、凄まじい。ルースのキャリアSTATSを見ると、その凄まじさにため息が出るが、それを反映している。

現役では、Fトーマス、KグリフィJr、ラミレス、A-ROD、このあたりは殿堂入り当確でしょう。

ジョー・ディマジオはRCでは69位だが、RC27は10位。ディマジオは、Tウィリアムスとほぼ同時代の選手だが、Tウィリアムス同様兵役に取られた上に、引退が早かったので積み上げのRCは大したことはない。しかし密度のRC2710位は、名選手だったことをうかがわせる。連続試合安打だけの選手ではないのだ。Dハルバースタムの名作「男たちの大リーグ」は、ディマジオが、Tウィリアムスでさえ手の届かない別格の存在だったことを教えてくれる。

さて、イチローは、昨年5000打数を超えたので、MLBの公式サイトで歴代打率22位に位置している。5000打数以上の選手は、2008年終了時点で693人いる。その最上位に位置するのだ。ただしRCで見れば、394位。まだキャリアが不足しているのだ。

120年の間に、野球は大きく変わった。だから古今の選手のランキングには、無理が付きまとう。しかし、こうした歴史の中に位置付けることで、現役選手の偉大さも相対的に知ることができるのだ。じっくり味わいたい表である。

 

■後日談:初出時に反応はいまいちだったのだが、このデータ、個人的には貴重だと思っている。 

RC、RC27で見るNPB打者ランキング|NPB

200923日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事 一部改稿】 

昨日のRC、RC27で2008年のNPBセパ両リーグの打者を見てみる。


RCRC27CP


 


 


 


 


 


 


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セリーグの打者のNo.1は、横浜の村田である。しかもRC、RC27、OPSともにラミレスに大差をつけている。これ、全米の記者が投票したら、MVPの投票結果はずいぶん変わっていただろうと思う。

パリーグは、オリックスのベテラン外国人二人が首位を競っている。打撃面では、この二人の活躍がオリックスのポストシーズン進出を推進したのだ。日本人は後塵を拝している。

セリーグの方が、やや重量感のある打撃だったことが分かる。

MLBと比較すれば、RC、RC27という新STATSと、打率、OPSの上位選手が重なっている率が高い。これは、極端な大物打ちが少なくて、バランスのとれた中距離ヒッタータイプが多いということだ。スケールの大きい選手が少ないということかもしれない。

金本、小笠原、松中、稲葉など、リーグを代表する名選手がそこそこの位置にいる。それから本塁打0の赤星が9位にいる。RCって、理屈はわからないが、信頼がおける気がするのだが。

 

明日は、RCを歴代の強打者にあてはめてみよう。

 

■後日談:2009年は西武の中村剛がRCでも突出している。

RC、RC27で見るMLB打者ランキング|MLB

200922日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事 一部改稿】

これは、アナ両リーグの打者の2008年のランキングである。

RCRC27AN

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、チームの状況になるべく左右されず、打者の純粋な力を測定する基準はないのか、とずっと思ってきた。また、安打、本塁打だけでなく、盗塁や犠打、犠飛、死四球なども加味することはできないか、とも思った。何しろ、野球は塁に出て、一つでも先の塁をとることで勝てるゲームですから。

ただ、本塁打と犠打は、同じにはならない。それは、何らかの比率にすべきじゃないかと。

こういうことを、アメリカでも真剣に考えた人がいて、その人は私と違って数学ができて、おそらくは金融商品なんかの設計にもかかわっていたようで、そうしてできた新たな評価がRC(Run Create)という。つまり「走者を生み出す」ことにどれだけ貢献したか。ここには、安打、犠打、死四球が盛り込まれ、当然、盗塁刺や併殺など「走者を消した」数値もマイナスで加味されている。数式はいろいろあるようで、ESPNとWikiでは違うのだが導き出される数値はほぼ同じだ。一応Wikiの数式を紹介すると、

 

A = 安打 + 四球 + 死球 - 盗塁死 - 併殺打

B = 塁打 + 0.26 ×(四球 + 死球) + 0.53 ×(犠飛 + 犠打) + 0.64 × 盗塁 - 0.03 × 三振

C = 打数 + 四球 + 死球 + 犠飛 + 犠打

RC=((A+2.4C)(B+3C)/9C)-0.9C

 

なぜ、これで打者の力量が測れるのか?私に聞かないでほしい。わかりません。ただ、これで出てくる数値には、何か妥当性があるように思う。

アリーグでいえば、OPSであれば、下位に落ちてしまうイチローが12位にいるし、ユーキリスの評価も高い。A-RODより上なのだ。サイズモア1位なのは、本塁打と盗塁がともに高水準だからだ。

ナリーグは、プホルスのMVPが納得できる。今の記者はRCを重要視しているのがよくわかる。(MLBは公式に認めていないようだが)バークマンがそれに次ぎ、首位打者チッパーはそれほど高くない。

このRCは、積み上げ型のSTATSでより多くの試合に出て、塁に多く進めた方が数字が上がる。

しかし、それでは打数の多い選手が有利になる。ということで、RC27というSTATSが編み出された。

この数値もこれだけ数式がある。

 

TO = 打数 - 安打 + 犠打 + 犠飛 + 盗塁死 + 併殺打

 RC27=27RC/TO

 

この数値では、同じRCの打者が27回打席に立った時=1試合プレーしたとき、にいくら得点が入るかという数値だ。ボンズばっかりのチームなんて、もめごとだらけで試合にならないようにも思うが。

これで見ると、アはブラッドリー、ナはプホルスである。アナ両リーグを比較すると、アの方が打撃はやや小粒だったようにも思える。

RCは、素人が自分でデータを取って計算できるという点で、守備のプラスマイナスよりもオープンな感じで好きである。ただ、数学で何度も先生に「すまなかっただ」「これからは努力するだ」「許してくだせえ」

と言ってきた私には、なぜこの数値になるのか、をちゃんと説明できないのがつらい。

 

こういう野球の実力を測定する新しい数値をSabermetricというそうだ。

明日は、RCでNPBを測定してみよう。

 

■後日談:2009年STATSもRC、RC27で測定しています。

あのチームは白星をいくらで買っているか?|MLB

2009130日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事

去年の暮れに、MLBから2008年度の年俸総額ベスト10が発表になった。お約束のように、ダントツ1位はNYYで、2007年の記録を更新した。でも、それでワールドシリーズはおろか、ポストシーズンさえ進出できなかったのだから、NYYのGMは手腕を問われてしかるべきだと思う。

2008年は、年俸総額テールエンダー常連のTBがアリーグの王者に輝いたように、コストパフォーマンスの常識が覆された1年だった。

各チームが選手につぎ込んでいるお金と、白星の相関関係が知りたくて、調べ始めた。折から、NPBの選手会が各チームの年俸総額を発表した。何と、選手一人ひとりに聞いて回ったそうである。この2つの数字を並べてみた。なおMLBは40人ロースターの総額、NPBは選手登録の総額である。(MLBの年俸のDATAはESPNで現在進行形で出ているのだが、昨年シーズン終了時点でのデータをとっていなかったため、あちこちから拾い集めた。大体は合っているとは思うが、ちょっと精度に自信がない。ご教示いただければ幸いである)

1ドル=90円で換算。

salary2008

NYYはやはりダントツである。1勝あたり2000万円をはるかにオーバーしている。本当にやりすぎだと思うが、これがNYYなのだ。

よく、金満球団というとNYYとBOSが引き合いに出されるが、BOSはNYYとはぜんぜん違う。BOSは長期の大型契約をすることこそあれ、1年にならすと他のトップクラスのチームとほぼ横並びの年俸なのだ。これで、激戦のア東地区で勝つのだから、賢明なマネージメントだと思う。

金満というなら、1億ドル以上の年俸で初の100敗を喫したSEAと、打撃偏重の布陣でこけたDET、それにATLがそれだろう。SEAの山内筆頭オーナーは、ニンテンドーがいくら儲かっているからといって、これでいいのだろうか。

特筆したいのは、TB、FLAという年俸総額下位チームが健闘していること。ア東地区では年俸1/5のTBがNYYをはるかに下に見ているし、ナ東のFLAも大健闘だ。

この2チームは、NPBなみの年俸なのだ。これ、新鮮だった。単純に言えば、日本のプロ野球への投資額で、MLBのチームを運営することが可能なのだ。TBもFLAもここ数年、ずっとこの水準。貧乏なら貧乏なりに生きていくすべはある。

結局、このSTATSは選手というよりは、マネージメントレベルとデシージョンレベルの手腕を示す数字なのだ。

 

それにしても、NPBはMLBに比べればチーム格差は少ない。最下位の広島とトップの阪神の年俸総額は3倍に満たない。MLBは8倍である。護送船団とはいわないが、何か横並びの感がある。

NPBとMLBでは年俸総額=選手市場総額で10倍弱の開きがある。また、1勝の価値は3倍強だ。

かつて玉木正之さんは、シーズン前にNPBの順位予想を聞かれて、年俸総額順にチームを並べて、見事的中させたことがあったが、今のMLBではそうはいかない。

年俸と実力が乖離する選手がたくさんいるというのは、今が過渡期だという証拠である。40歳を越えたおじさんが、目の玉飛び出るような年俸をもらってふんぞり返っていた時代から、コストパフォーマンスの良い若手が台頭する時代へ。金融危機がそれに拍車をかけているのだろうが、MLBは、順調に成長しているのだと思う。

 

■後日談:不景気の中で、一部の選手を除いてMLBのサラリーも厳しい。今年は特に松井秀喜が厳しい状況に立たされている。
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最近メディアからいろいろお話をブログにいただくようになりました。迂闊なことに、殆ど対応できていませんでした。ご連絡は下記までお願いいたします。

baseballstats2011@gmail.com

広尾晃と申します。

ライター稼業をして、かれこれ43年になります。

2009年1月に、SportsNaviで「MLBをだらだら愛す」というブログを開設、12月には「野球の記録で話したい」を開設。多くの皆様にご愛読いただきました。2011年11月、livedoorに引っ越し。基本的な考え方は変わりません。MLB、NPBの記録を中心に、野球界のことをあれこれ考えていきたいと思います。多くの皆様に読んでいただきたいと思いますが、記録や野球史に興味と尊敬の念を持っていただける方のサイトにしたいと思います。特定の球団のファンの方も大歓迎ですが、「ひいきの引き倒し」的な論調には与しません。

広尾晃はペンネーム。本名は手束卓です。ペンネームは、小学校時代から使っていました。手束仁という同業者がいるので、ややこしいのでこの名前で通しています。ちなみに手束仁はいとこです。顔もよく似ています。
私が本名を隠しているかと勘違いして、恐喝のようなコメントを送ってくる犯罪者まがいがいるので、あえて公表します。


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