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長野県出身のプロ野球選手の総まくりも今回で最終回。南信地方。山が深く、過疎地が多い。長野よりも愛知県とのつながりが深い地域も多い。
伊那市

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伊奈北高校は南信地区では東海大三高と並ぶ野球強豪校。また勉学でもトップクラス。牧田政彦 は、主に中継ぎで活躍した左腕。斎藤充弘は日体大を出てヤクルトへ。現在は球団マネージャーだ。

茅野市

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東海大三高は春夏合わせて三度の甲子園出場経験があるが、プロ野球選手は出ていなかった。2008年甲斐拓也がドラフト1位でオリックス入団。大いに将来を嘱望されたが負傷し、今は育成選手となっている。BCリーグには町田孝行(信濃)、長坂秀樹(新潟)が進んでいる。

駒ヶ根市

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長野県赤穂学校は、甲子園に一度出場。井石広一が広島に入団したが、一軍の試合には3試合。四球を一つ選んだ。

松川町

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現在の行政単位での「町」の高校としては、唯一甲子園に出場、プロ選手も輩出している。
松川高校は、元私学の塚原学園天竜高校のちの私立天竜光洋高等学校が廃校になった後にできた公立高校だが、一応私立高校時代も歴史に組み入れている。鈴木照雄は選手としては大成しなかったが、西武の辣腕スカウトとして知られた。

なお、1967年には宮島義人が南海からドラフト7位で指名されている。しかし捕手の宮島にとって、野村克也がいる南海に入団することは現実的とは思えなかったのだろう。入団を拒否している。

南信地方からは偉大なアマチュア野球人が二人出ている。一人は飯田長姫高校時代、小さな大投手として甲子園を沸かせた選抜優勝投手光沢 毅。157cmという短躯。高校野球指導者となり、解説者としても活躍するが失明。その後はブラインドゴルファーとして活躍した。

もう一人は応援団から明治大学野球部監督になった島岡吉郎。高森町の出身だが、地元の学校へは進まず東京の豊山中学から明治大学を経て、明大野球部監督を1946年から40年余務めた。秋山登から星野仙一、武田一浩まで、明治大学の野球人の大部分は島岡の人脈に連なっている。



この人がオール長野の監督ではないかと思う。


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