横浜の村田修一の心は巨人に大きく傾いているように見える。背番号「5」「25」を提示され「144試合三塁手として活躍してほしい」と言われたそうな。巨人の正三塁手と言えば、日本の正三塁手と言ってもよい。心が動かないはずがない。
巨人はこれまでも、各チームの主力打者を多く獲得してきた。これを振り返ってみたい。
表の見方。

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① は実働年数に占める巨人での実働年数。②はRCの巨人での比率。③はRC27の巨人と総キャリアの比較。
① と②を比較すると、巨人でのその選手の使われ方がわかる。レギュラーで使われていれば、①と②の数字は近くなる。③が100%を超えていれば、その選手は、キャリアの平均以上のパフォーマンスを巨人で発揮したことになる。

「選手を獲得する」とは、せんじ詰めれば選手の「時間」を獲得することである。上り坂から全盛期、そして衰退期へとキャリアが推移する中で、「おいしい時間」をどれだけ確保するか、が問題なのだ。この観点からすれば、ポイントは③の数字がいかに高いか。ということになる。
前置きが長くなった。長い表になって恐縮です。

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巨人は2リーグになる前に阪急から青田昇、急映から藤原鉄之助という主力選手を獲得した。しかし2リーグ分裂後は消滅した西日本から南村、平井を獲得した程度で、あとは自チームで選手を育成してきた(投手では別所引き抜きという大事件を起こしてはいるが)。
65年には町田行彦、関根潤三と名のある選手を獲得したが、これは戦力というより「元巨人」という肩書を得たい選手側の事情が大きい。「元巨人」の肩書がなければ町田も関根も巨人のコーチに就任することはなかっただろう。81年の松原誠もこの手の移籍だろう。

巨人が他球団の大物を獲得した嚆矢は66年、西鉄の田中久寿男、高倉照幸の獲得だ。古い雑誌で田中の移籍を「うちのチームの5番打者を引き抜くのか」と憤るファンの投稿を見たことがある。

V9が終了した74年以降、巨人はなりふり構わぬ選手獲得に走るようになる。すでに前年には長嶋茂雄の引退を見越して富田勝を南海から獲得していた。富田は長嶋引退記念の出版物で誇らしげに「僕は長嶋さんの後継者だから」と語っていたが、2年後には張本勲との交換で日本ハムに移籍している。

張本勲こそは、巨人の「超大物引き抜き」の第一号だった。③の数字は90.8%。盛りを過ぎていたとはいえ、十分に力を発揮した。これに味を占めて大物をあさるようになったのだ。翌年のジョン・シピンの獲得もそうだ。
87年、阪急からの蓑田浩二の移籍は、大きく注目された。『週刊ベースボール』の表紙に巨人の帽子をかぶった蓑田の写真が載ったのを見たことがある。しかし、彼は期待に応えられなかった。

90年代に入り読売本社、巨人での渡邉恒雄氏の発言力が大きくなる。これに呼応するように各チームの4番打者を次々と獲得するようになる。93年に中日の落合博満、94年にヤクルトの廣澤克己、ハウエル、96年には西武の清原和博、97年に近鉄の石井浩郎、99年の広島の江藤智、02年ヤクルトのペタジーニ、03年ダイエーの小久保裕紀、近鉄のタフィ・ローズ、06年ロッテの李スンヨプ。あきれるばかりの散財である。彼らは全盛期に移籍しており③の数字は80%から90%以上と高い数値を示している。しかし、①②に注目すると、高いパフォーマンスを持った選手を十分に活用していないことがわかる。こうした強打者は例外なく、レギュラーで使い続けてこそ力を発揮するのだが、似たような選手がだぶついたために、代打や2プラトーンなどで起用。もったいない使い方をしたのだ。

何度も紹介しているが、小野俊哉著『プロ野球解説者の嘘』によれば、強大な打線を持つ巨人が、圧勝できないのは、主軸の前にランナーを効率的に貯めることができないからだ。巨人に必要なのは、出塁率の高い1,2番なのだが、方針が改められることはなかった。素人くさい補強が続いているのだ。





今もその傾向に変わりはない。もっとも残念な使われ方をしているのは谷佳知だ。彼はレギュラーで出れば確実に3割近くを打つ実力があるのだが、ここ2年は控えに甘んじている。選手がだぶつき、出場機会が奪われているのだ。

今回の村田修一の獲得は、3塁が空いていることを考えれば、妥当な感じがする。しかし、巨人は獲得できるとなると、ポジションを気にせず似たような選手を獲得する傾向にある。仮に数年先に中村剛也が獲得できるとなれば、巨人は村田がいても迷わず触手を動かすだろう。これが、獲得した選手の「無駄遣い」の連鎖につながっていく。
巨人が強くなるためには「適材適所」という言葉をかみしめるべきだろう。

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