昨日、ペドロ・マルチネスが引退を表明した。ここ2年間は投げていない。
通算219勝は76位に過ぎない。しかし、全盛期の投球のすごさ、人々に与えたインパクトのすさまじさは、圧倒的だった。この投手は本気で打者を殺そうとしているのではないかと思えた。
ペドロ・マルチネスのキャリアSTATS。

Pedro Martinez-20111206






兄のラモン・マルチネスは、鶴のように長身で細身の投手。ロサンゼルス・ドジャース=LADのエースとして、野茂英雄などとしのぎを削ったが、弟のペドロは、180cmあるかないかという小柄。期待は大きくなかったが、マイナーで頭角を現し、3年で兄のチームメイトになる。当初はリリーフ投手であり、コントロールは悪いものの球の勢いで勝負していた。しかし、モントリオール・エキスポス=MTLに移籍してからは、リーグを代表するスターターへと成長していった。97年に初のサイ・ヤング賞を受賞。このころから、ペドロ・マルチネスは、滅多に四球を出さず、本塁打を打たれず、三振を奪いまくる、理想の投手へと変身していった。

翌年、ボストン・レッドソックス=BOSに移ってからの6年間がペドロの絶頂期だった。

何度も紹介しているが、セイバーメトリクスの中にDIPSという数値がある。発案者のボロス・マクラッケンは、投手の数値のうち、被安打は実力とは無関係の偶然の産物とし、投手が自分で制御できるのは与四球、奪三振、被本塁打の3つだけだと結論付けた。その3つの要素だけで編み出した数値がDIPSだ。

DIPSが2.5を下回る投手は、シーズンに1人出るか出ないか。大投手でもキャリアで1、2回記録する程度の大記録だ。驚くべきことに、ペドロ・マルチネスは97年から2004年までの8年間で5回もDIPS2.5以下を記録している(規定投球回数以上)。ことに、1999年のDIPS1.33は、MLB史上でも空前の大記録だ。過去記事参照→
この年の登板記録。

Pedro Martinez-20111206-1999


大崩れしたのは7月18日の1試合だけ。あとは極めて安定感のある投球を見せている。与四球は37、被本塁打は9。

この年、ペドロは2度目のサイ・ヤング賞を受賞するが、防御率は2.07と一度目より下がっており、記録的に注目されることはなかった。しかし、セイバーメトリクス的には、この年、ベーブ・ルースの60本塁打に匹敵するような大記録が生まれていたのだ。

今年、NPBではダルビッシュ有と田中将大が、75年のNPBの歴史でも初めてDIPS1点台を記録した。  
この記録も注目を集めていないが、1999年のペドロ、2011年のダル、田中は投手が求めうる究極の投球を見せたのである。

小さな体での奮闘は、ペドロを消耗させたのだろう。首狩り族と言われた内角へのキレのある2シーム、サークルチェンジ、高速カーブ。超一級のボールは故障のたびに失われていった。しかし、気魄だけは最後まで変わらなかった。

2009年春のWBC。まだ移籍先の決まっていなかったペドロは、ドミニカ代表としてマウンドに立ち、その健在ぶりをアピールしようとした。この年のドミニカはオランダに2度敗れるなど歴史的な番狂わせによって、最終ステージに残れなかった。ベンチでデヴィッド・オルティーズやエイドリアン・ベルトレらが呆然とする中、ペドロだけはやる気満々で、2度の登板6回を無失点に抑えて見せた。そしてこの年、フィラデルフィア・フィリーズ=PHIに席を得たのだ。

しかし、この年は故障が多かった。8月にようやくMLBに昇格し、5勝1敗は見事なものだが、7被本塁打。往年の力はなかった。
そしてこの年のワールドシリーズ第6戦の2回、BOS時代に37打数8安打1被本塁打と抑えていた松井秀喜に右翼席に本塁打を打たれてペドロのキャリアは終わった。

サイ・ヤング賞3度は、ロジャー・クレメンスの7度、ランディ・ジョンソンの5度、スティーブ・カールトン、グレッグ・マダックスの4度に次ぐ記録だ(他にジム・パーマー、サンディ・コーファックス、トム・シーバー)。勝ち星こそやや物足りないが、DIPSを考慮しなくとも殿堂入りの資格は十分だと思う。

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