『文藝春秋』2012年1月号に、清武英利さんの「ナベツネ栄え、野球は枯れる」という独占手記が載った。さっそく買って読んだ。




2度目の記者会見が大したことなかったので、あまり期待していなかったのだが、いくつか収穫があった。
まずは2004年8月に読売新聞から100%子会社である読売巨人軍に出向を命ぜられ清武さんが、どのような思いで巨人軍を運営してきたか、ということがよくわかった。

誰でも知っているように、巨人は他球団のエースや4番ばかりを獲得して中心に据えたチーム作りをしてきた。野球というスポーツは、ポイントゲッターだけが試合を決めるのではない。リードオフマンがいて、つなぐ選手や守る選手がいて、勝利をたぐりよせるのだ。それを理解せず似たタイプの大物ばかり獲得してきた巨人は、非効率で、理にかなわない野球をしてきた。 →巨人は買い物がうまいか?
またそうした政策は、生え抜き選手の意欲を失わせた。さらに渡邉恒雄会長の「鶴の一声」でチーム方針が決まる運営体制は、フロントの人々のやる気もそいでいた。

清武さんは、典型的な“子会社病”に蝕まれていた巨人軍を、一企業として、また球団として再生しようとしたのだ。縦割りで交流のなかった組織の風通しを良くするとともに、選手育成に取り組んだ。大物獲得に頼らないチーム作りを目指したのだ。

注目すべきは、清武さんがセイバーメトリクスとベースボールオペレーションシステム(BOS)に着目して、イノベーションを推し進めていたことだ。2010年にはニューヨーク・ヤンキース=NYYに学んで巨人独自のBOSを完成させたという。また、育成選手制度を導入し、そこからも一軍の選手が育っていった。これは清武さんがプロ野球のプロパーではなく、先入観にとらわれず改革ができたからだと思う。

しかし一方で、渡邊恒雄会長周辺による選手の一本釣りはおさまらなかった。先進的なシステム構築、地道な選手育成と、これまで通りの引き抜き補強が並行して行われていたのだ。

清武さんは、子会社の経営者という意識は全くなく、会社を自分の意志で再構築しようとしていた。この人には“政治感覚”がなかったのだろう。渡邉会長にしてみれば、親会社、トップの意向を酌んで巨人を無難に運営してくれることを期待していたのだろうが、清武さんは自分の理想像に向けて走り出していたのだ。
早晩、清武さんが丹精込めて作り上げていた“清武巨人”は、本当のオーナーたる渡邊恒雄会長に潰される運命だったのだ。

その発端が、11月4日に起こった渡邊恒雄会長によるメディアへの「(来季の巨人コーチ人事について)俺は何にも報告聞いていない」発言だった(※清武さんは会社のもめ事を世間にさらしたことで非難を浴びているが、渡邉会長は日常的に自社の“恥”をマスコミにさらしている。これは指弾されない)。

私は昔、ワンマン企業で働いていたことがある。こういう会社では、現場が粛々と進めてきた計画を、オーナーが突然ひっくり返すことはよくあった。同僚が親指を立てて「“これ”が、怒っているらしいんだ」と声を潜めていう。その重苦しさは今も、生々しく記憶にある。

コーチ人事に加えて、桃井オーナー、清武代表の降格、左遷人事も発令された。清武さんは、上司の桃井オーナーともども渡邊恒雄会長の横車に憤激した。しかし、桃井氏は懐柔されたようで、清武さんだけが渡邉会長に呼びつけられた。ここで例の渡邉会長の「江川は悪名だが無名に勝る」発言があったのだ。
注目すべきは、清武代表の降格、左遷について渡邉会長が「君と原監督は並び立たない。もし原を切るだろ。するといやがらせをする。菅野をくれないだろう」と弁明したことだ。渡邉会長は、いずれ清武さんには社長で返り咲かしてやる、という含みも持たせた。来年、ドラフトで菅野さえ取れれば、原を切るといわんばかりの身勝手な言い草だ。品性下劣も極まれりという感がある。
清武さんがこの会見で、反旗を翻すことを決心したのも頷ける。
いつまでたっても野球というものを理解しないこの老人の頑迷さにも呆れる。

清武さんが経営者として有能なのかどうかは全く分からない。しかし、少なくとも渡邉会長よりもはるかに真摯なことは間違いないと思う。相も変わらず、渡邉会長は組織を壟断して人事を思いのままにすることで、自らの権力を確かめている。愚劣だ。この愚劣な権力志向は、NPBまで蝕んでいるのだ。

「清武の乱」から明日で一か月。清武氏は劣勢に立たされている。一つは、自らの組織の内幕を暴露したこと。組織内のもめごとは、組織で解決すべきであり、外部の力を借りようとしたのは、組織人にあるまじき行為だとされている。また、清武氏こそが今の巨人の弱体化を招いた張本人であり、彼には糾弾する資格がないという意見も強い。さらに「清武の乱」によって、巨人の補強が停頓し、現場が混乱したとも言われている。最近では、圧政を強いていたのは清武氏そのものであり、これに渡邉恒雄会長の鉄槌が下ったという見解さえ出てきた。

こうした見方の根底にあるのは、今回のもめ事は「他人事」だという意識だ。一企業のもめ事を世間様にさらすのはみっともない、という認識がある。また、今の巨人、NPBの体制のあり方と、今回の事件を結び付けたくない、事件をできるだけ矮小化したいという体制維持的な意識も働いていると思う。

私は、今回の騒動を「他人事」とは全く思っていない。プロ野球ファンである私は、NPBのステークホルダーだと思っている。何ら報酬を得ることはなく、むしろ身銭を切って試合を見たり、物を買ったりしているが、それだけ純粋にNPBの行く末を思っている。ショービジネス、人気商売は観衆なくして成り立たない。ファンこそが最優先のステークホルダーだ。

ビジネス的な自立ができず、じり貧状態に陥ろうとしているNPBの現状。その根底には、渡邉会長に象徴される愚劣な権力志向が蟠っている。それは取り除かれなければならないと強く思っている。

この稿の最後で、清武さんはまだカードを持っていることを匂わせた。最初の記者会見前の渡邉会長との最後のやり取りを公開する用意があるようだ。おそらく録音データが出てくるだろう。
たとえ清武さんが、自らの保身を求めて経営トップに弓を引いたのだとしても、その鏃が渡邉会長の胸元を突くならば、これを奇貨として嘉したいと思う。

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