金本知憲が引退表明をした。小久保裕紀、石井琢朗、田口壮と続いた連鎖は、金本にも及んだとも言えるが、中村勝広GMの初仕事とも言えよう。
金本は東北福祉大を出てドラフト4位で広島に入団。しかし当時の広島は強豪チームであり、非力な金本はなかなかレギュラーの座が獲得できなかった。江藤智、前田智徳らの後塵を拝していたが、入団4年目にレギュラーの座をつかみ、以後、主力選手として活躍した。
金本はレギュラーになった当初から本塁打が良く出る打者だったが、同時に選球眼も良かった。さらに持ち前の脚力を活かして盗塁も増え、欠点の少ない打者になっていった。外野手としても強肩、いわゆる5ツールプレイヤーへと成長した。
その全盛期に広島が手放したのは、誠に不可解。優勝よりも予算維持を優先する広島フロントの姿勢は揺るがなかった。
阪神にとっては、史上もっとも成功した選手獲得と言ってよいだろう。30代後半にさしかかって脚力こそやや衰えたが、長打力はさらに強力になり、リーグ最強打者へと成長したからだ。2003、5年の優勝は金本の存在なくしては考えられなかった。
これほどの打者でありながら、金本のタイトルは打点王一度だけ。これは、この選手が指揮官の思惑によって打順をよく替えられたこと、そして四球をよく選ぶ打者だったことが影響していると思う。
金本の良さは、走攻守のすべてにおいて、高いレベルを長年にわたって維持してきたことに尽きると思う。30代後半になっても衰えを見せなかったのは、本人の高い意識によるものと言えよう。
反対に言えば、ここ3年間は、そのすべてを失いながら、なお現役に固執してきたことになる。
その最大の理由は、連続フルイニング出場、連続試合出場という記録が過大に注目されたことだ。この種の記録は、指揮官が決断さえすればいくらでも伸ばすことができる。作ろうと思えば作れる記録なのだ。2009年後半には成績は明らかに下降線を描いていたが、2010年4月18日に本人が申し出るまで連続フルイニング出場は継続された(1492試合)。さらに連続試合出場記録は継続。2010年は全試合出場して規定打席未満と言う珍記録を作ってしまった。
連続試合出場記録は2011年4月15日に途絶えたが(1766試合)、以後もレギュラーの位置を保障されて現在に至った。
成績が下落していたにも関わらず金本を外す決断ができなかったのは、第一に球団フロントの怠慢だ。「金本を出さんと客が怒る」という口実で、軋轢を生むであろう決断を先送りにしたのだ。マスコミもたまに金本が打つと「アニキ大活躍」とほめそやした。こうした「えこひいき」「不公平」がチームに沈滞ムードをもたらしたのは想像に難くない。阪神の最近の低迷と金本の存在は、無関係とはいえないだろう。
金本自身もこの3年間で打率を6厘落とした。そしてそれ以上に大選手としての名声を失った。
金本の衰えは棘上筋部分断裂、肩の故障によるものだったと言われる。最初は試合中の接触による負傷がきっかけだったが、肩の可動部が極端に制限され、いわゆる「四十肩」になった。これは打撃にも大きく影響するが、それ以上に守備面での影響が深刻だった。
金本の年度別守備成績。
金本の守備率はここ3年大きく下落している。守備率はそれほど信頼性の高いSTATSではないが、金本の場合、有意ではないかと思われる。まともに送球ができないための失策、そして加齢による脚力の衰えによる失策。
今でも金本は、審判が投手に投げ返すようなボールしか投げることができない。
3年間で失ったものはあまりにも大きかった。しかし、金本知憲が、広島でも阪神でもオールタイムベスト9に選ばれてもおかしくない大選手だったのは間違いがない。
これが、中村勝広GMの大英断によるものだとすれば、阪神にも変化の兆しが表れた見ることもできよう。しかし、無能のフロントはまだ居座っている。過大な期待はできないのではないか。
金本は記者会見で
「限界という思いもあるし、若手に切り替わる中、いいときのパフォーマンスを出せない自分がいるのも肩身が狭い思いもあった」と言った。
その言葉は少なくとも2年前に言うべきだったのではないか。
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金本はレギュラーになった当初から本塁打が良く出る打者だったが、同時に選球眼も良かった。さらに持ち前の脚力を活かして盗塁も増え、欠点の少ない打者になっていった。外野手としても強肩、いわゆる5ツールプレイヤーへと成長した。
その全盛期に広島が手放したのは、誠に不可解。優勝よりも予算維持を優先する広島フロントの姿勢は揺るがなかった。
阪神にとっては、史上もっとも成功した選手獲得と言ってよいだろう。30代後半にさしかかって脚力こそやや衰えたが、長打力はさらに強力になり、リーグ最強打者へと成長したからだ。2003、5年の優勝は金本の存在なくしては考えられなかった。
これほどの打者でありながら、金本のタイトルは打点王一度だけ。これは、この選手が指揮官の思惑によって打順をよく替えられたこと、そして四球をよく選ぶ打者だったことが影響していると思う。
金本の良さは、走攻守のすべてにおいて、高いレベルを長年にわたって維持してきたことに尽きると思う。30代後半になっても衰えを見せなかったのは、本人の高い意識によるものと言えよう。
反対に言えば、ここ3年間は、そのすべてを失いながら、なお現役に固執してきたことになる。
その最大の理由は、連続フルイニング出場、連続試合出場という記録が過大に注目されたことだ。この種の記録は、指揮官が決断さえすればいくらでも伸ばすことができる。作ろうと思えば作れる記録なのだ。2009年後半には成績は明らかに下降線を描いていたが、2010年4月18日に本人が申し出るまで連続フルイニング出場は継続された(1492試合)。さらに連続試合出場記録は継続。2010年は全試合出場して規定打席未満と言う珍記録を作ってしまった。
連続試合出場記録は2011年4月15日に途絶えたが(1766試合)、以後もレギュラーの位置を保障されて現在に至った。
成績が下落していたにも関わらず金本を外す決断ができなかったのは、第一に球団フロントの怠慢だ。「金本を出さんと客が怒る」という口実で、軋轢を生むであろう決断を先送りにしたのだ。マスコミもたまに金本が打つと「アニキ大活躍」とほめそやした。こうした「えこひいき」「不公平」がチームに沈滞ムードをもたらしたのは想像に難くない。阪神の最近の低迷と金本の存在は、無関係とはいえないだろう。
金本自身もこの3年間で打率を6厘落とした。そしてそれ以上に大選手としての名声を失った。
金本の衰えは棘上筋部分断裂、肩の故障によるものだったと言われる。最初は試合中の接触による負傷がきっかけだったが、肩の可動部が極端に制限され、いわゆる「四十肩」になった。これは打撃にも大きく影響するが、それ以上に守備面での影響が深刻だった。
金本の年度別守備成績。
金本の守備率はここ3年大きく下落している。守備率はそれほど信頼性の高いSTATSではないが、金本の場合、有意ではないかと思われる。まともに送球ができないための失策、そして加齢による脚力の衰えによる失策。
今でも金本は、審判が投手に投げ返すようなボールしか投げることができない。
3年間で失ったものはあまりにも大きかった。しかし、金本知憲が、広島でも阪神でもオールタイムベスト9に選ばれてもおかしくない大選手だったのは間違いがない。
これが、中村勝広GMの大英断によるものだとすれば、阪神にも変化の兆しが表れた見ることもできよう。しかし、無能のフロントはまだ居座っている。過大な期待はできないのではないか。
金本は記者会見で
「限界という思いもあるし、若手に切り替わる中、いいときのパフォーマンスを出せない自分がいるのも肩身が狭い思いもあった」と言った。
その言葉は少なくとも2年前に言うべきだったのではないか。
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晩節を汚した、、って確かにそう感じますが、そう思わないファンも多数いると思うので、自分の考えで言い切るのは危険かと(心無い方が荒らさないか心配です、、)
次は城島ですかね。