すでに10月2日に引退会見をしてオーストラリアに帰っているが、この投手はユニークな経歴を持っていた。おさえておきたい。
マイケル中村は、いわゆるハーフであり、母はヨーロッパ系の白人だ。しかし父の仕事の関係で奈良県で生まれ、日本国籍を持っている。幼いときにオーストラリアに戻り、野球を始める。そしてMLBを目指してアメリカに渡ったのだ。日本語は話せなかった。

96年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪では代表に選ばれている。
1996年アトランタ五輪では5試合7回を投げて0勝2敗(キューバ、イタリア) 自責点5
2000年シドニー五輪では3試合4.1回を投げて0勝0敗自責点1

日本との対戦はなかった。
なお右ひじを痛めて、97年に手術をし、サイドスローに投法を変更している。この97年にミネソタ・ツインズに入団。

Micheal Nakamura




マイナーではコントロールはあまりよくないものの、サイドスローから癖のある速球を投げて救援投手として頭角を現した。2003年にMLBに昇格し、6/7の交流戦、サンディエゴ・パドレス戦の8回途中から投げた。この試合は無事におさえたものの、翌日の同じカードで代打のブキャナンに本塁打を打たれる。以後も6月中は起用されたが、セットアッパーとしては機能せず、7月にマイナー落ち。

翌年はトロント・ブルージェイズ=TORに移籍、4月には昇格したが、7月末で戦力外となった。

日本に来たのは29歳の時。指先でつまむようにしてボールを押し出す。150km/hの速球と曲がりの良いカーブ、スライダーを持ち味に、2006年から3年間はクローザーとして活躍した。コントロールはそれほど良くなかったが、度胸が良い投手という印象があった。

ただし、巨人に移籍してからは2010年に一時持ち直したものの、低迷が続いた。

西武に移った今年9/2は先発にもまわった。実に2004年以来だったが、ロッテを相手に4回を投げて3被安打1失点、9/9の楽天戦も先発したが3回を投げて4失点だった。

36歳はまだやれる年ではあるが、引退を発表した。

変則投手ではあったが、小気味の良い投球をし、記憶に残る投手だったと言えよう。
しかしこの人のスペルだけは最後まで覚えることができなかった。

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