今年は、イチローにとって大きな節目の年となった。多くのイチローウォッチャーにとって、そろそろ「ある覚悟」をしなければ、と思う年になった。
3月28日、日本のファンの前に久々に姿を現したイチローは、元気いっぱいだった。超満員のファンに、イチローは自分の姿をじっくりと見せた。バッティングケージでスイングする姿、右翼へゆっくりと走る姿。キャッチボールをする姿。
その優雅な身のこなしは、シアトル、オークランドの選手の中でも、ひときわ目立っていた。「至宝」というにふさわしかった。

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試合に入る前から、私たちはイチローの姿に酔っていた。「歴史」を見ているという高揚感と、昔とほとんど変わらない優雅な姿を見せるイチローを見るうれしさと。
そして試合が始まると、イチローは、これ以上はないほど見事なパフォーマンスを見せてくれた。遊内野安打が2本、中前打、左直、中前打。イチローは気力を振り絞って、一塁を駆け抜けていた。
それは、全身を使って、日本のファンに「さよなら」を言っているようにも思えた。海を渡らない限り、我々がイチローの雄姿を目の当たりにする機会はもうないのだ。

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本格的にシーズンが始まると、イチローの成績は徐々に下降線を描くようになった。とにかく、安打が続かない。3番という新しい役割を与えられたが、結果が出ないまま1番に、そして2番へ。打順の変更は、イチローのポジションが定まらないことを意味していた。居場所がない、そんな思いを募らせていたのかもしれない。

7月22日、イチローは電撃的にニューヨーク・ヤンキースに移籍した。契約最終年であり、その可能性はあるにはあったが、それでも衝撃的なニュースだった。マスコミも含めてほとんどの人にとって寝耳に水だった。

翌日からのセーフコ・フィールドでのマリナーズ、ヤンキースの3連戦は、イチローがシアトルに別れを告げるイベントとなった。
BSでの中継は、グレーのアウェイのユニフォームに身を包み、ヘルメットとグラブを抱えたイチローがダッグアウトに入ってくるところから始まった。
この姿を見たときに、ひりひりするような寂しさを感じたが、同時に、カーティス・グランダーソンやペティットと談笑する姿を見ると、これから始まる物語に期待しようという気にもなった。

三連戦の最後の日、いつもと反対側のベンチから右翼へ走る背番号31。多くの人々はその姿を目に焼き付けたことだろう。

移籍後もイチローの成績はすぐには上昇しなかった。毎試合1安打は打つが、爆発はしなかった。

しかし、9月6日に3安打を放ってから、イチローは打棒を爆発させた。以後、月末までに打率を.264から.285にまで上昇させたのだ。打数が嵩んだシーズン終盤では驚異的だった。我々は、イチローの身内に、まだこれだけのエネルギーが内蔵されていることを知り、驚いた。
数字の上昇とともに、イチローの所作には自信が満ちはじめ、居並ぶ大スターに伍して堂々たる貫禄を示すようになった。これでこそ、イチロー。

残念ながらワールドシリーズ進出はならなかったが、私たちは「イチロー再生、復活の物語」に大いに満足して、シーズンを終えたのだった。



大選手がその最晩年にチームを移籍することはままある。
ベーブ・ルースは1934年、15年間プレーしたニューヨーク・ヤンキースを離れ、ボストン・ブレーブスに移籍した。
ウィリー・メイズは1972年、21年間プレーしたサンフランシスコ・ジャイアンツを離れ、ニューヨーク・メッツに移籍した。
ともに、新しいチームでの成績は、必ずしも満足いくものではなかったが、偉大な選手にとって違う色のユニフォームを着ることは、身じまいのためには、必要なことだったようにも思える。

来シーズン、我々はイチローのプレーに、希望の甘さだけでなく、失望の苦さも味わうことになるだろう。
しかし、何があっても、この20年間我々を魅了し続けた選手の、最後の日々を見続けていきたいと思う。


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