ニューヨーク・ヤンキースのホルヘ・ポサダが苦境に陥っている。


1995年ニューヨーク・ヤンキース=NYYは過渡期にあった。ウェード・ボッグスは健在だったが、ドン・マッティングリーに衰えが見え、20本塁打以上はポール・オニールだけと言う状況。生きの良いバーニー・ウィリアムスという若手が出てきてはいたが、全体にロートルの感はまぬかれない。捕手はシルバースラッガーを取ったこともあるマイク・スタンリーがいたが、この年で契約が切れる。チームには91年24順目と言う遅い指名ながらめきめきと頭角を現してきたホルヘ・ポサダという捕手がいた。しかしまだ少し時間がかかりそうだった。この年はBOSに地区優勝をさらわれた。



1996年、マイク・スタンリーはライバルBOSに移籍。そこでチームはCOLで堅実な守備で知られたジョー・ジラルディを補強。ジラルディはアンディ・ぺティット、ケニー・ロジャース、ドワイト・グッデンらを上手くリードしてNYYを優勝に導く。また、この年、デレク・ジーターが華々しくデビュー。ホルヘ・ポサダは春先に少し出場した後、ロースター枠が広がった9月にはじめて先発出場を果たした。この時点でジラルディはポサダの教育係となったようだ。



1997年、ジラルディはなおも正捕手ではあったが、ポサダは開幕からロースター入り。長打力ではジラルディをはっきり上回ることを証明して見せた。この年に、ポサダはバーニー・ウィリアムス、デレク・ジーター、マリアノ・リベラに続く「神童グループ(ハルバースタム参照)」の一員であることを印象付けた。



1998年、ついに両者の関係は逆転。ポサダは開幕戦こそ途中出場に甘んじたが2戦目以降は正捕手に座り、2位BOSに22ゲーム差をつける圧勝に貢献した。



1999年には、ポサダはやや打撃不振ではあったが、ジラルディに牙城を脅かされることはなかった、ジラルディはシーズンオフにCHCに移籍する。



2000年、ホルヘ・ポサダはオールスターにも初出場し、シルバースラッガーも受賞。ジラルディはCHCで辛うじてレギュラーを保ったが3年後引退。指導者の道に進んだ。



爾来11年、やれキャッチングに難がある、投手への返球がおかしいと言われながらも「腐ってもホルヘ」でNYYのホームベースを守ったポサダだったが、今季はDH専念を通告された。正捕手はLADから引き抜いたラッセル・マーティン。これはフランシスコ・セルベリの成長までのつなぎ。つまりかつてのジラルディの役どころ。

「禍福はあざなえる縄のごとし」と言うが、ホルヘ・ポサダに引導を渡したのはNYY監督になったジラルディだった。昨年などリベラとのコンビはいい味を出しているな、と思ったが。常勝NYYのホームベースはもはやポサダでは守れなかった。

DHに押し込められたポサダは昨日、9番起用の通告に対し「やってられない」と声を上げた模様。<双方の心中いかばかり。煌々と照らすグランドの影で、人間臭いドラマが繰り広げられているのだ。






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