ああ、そういう選手がいたな。という程度の記憶だった。ユーティリティプレイヤーとして活躍したライアン・フリールが自ら命を絶った。悲しい話だ。
キャリアSTATS

Freel-20121225


1995年、トロント・ブルージェイズ=TORの10順目。同期のいの一番はダリン・エルスタッド。ロイ・ハラデーやトッド・ヘルトン、ジェフ・ジェンキンスらも同期だ。

小柄だったが、器用な選手で、マイナー時代から1塁以外の内野と外野を守った。本塁打を打つタイプではなかったが、足が速く、機敏。しばしばファインプレーで客席を沸かせた。

シンシナティ・レッズ=CINに移籍して2年目の2004年にはレギュラーとなる。この年は名遊撃手バリー・ラーキンと三遊間を守った。また、開幕当初は7,8番だったが、5月中旬からは1番を打った。

監督にしてみれば、使いやすい選手だった。三塁だけでなく内外野どこでも守れたし、バントもでき、足も速かったからだ。特に盗塁は成功率が高かった。運動神経が良かったのだろう。

ただ、向かっていく性格だけに死球も多かった。



打率.270、30盗塁、OBP.370前後と安定した成績を残し、リードオフマンとして長く活躍しそうな選手だったが、2007年5月28日のピッツバーグ・パイレーツ=PIT戦の3回、中堅を守っていてハンバート・コタの飛球を捕球する際にフェンスに激突して頭部を強く打ち、退場した(代わりにケン・グリフィ・ジュニアが守備に就いた)。

脳震盪だった。以後、はつらつとしたプレーができなくなり、成績が下落。2008~9年には3球団を渡り歩いたが、戦力外となった。
その後、独立リーグでもプレーしたが、一昨年に現役を退いた。

脳震盪の後遺症で成績が低迷している選手には、ミネソタ・ツインズ=MINのジャスティン・モルノーがいる。アスリートの場合、命取りになることも少なくないのだ。

22日、自宅で銃による自殺。36歳だった。健在ならば、まだ試合に出ていた年齢だ。

怪我はアスリートにはつきものだが、苦労して勝ち得たポジションを、一瞬のアクシデントで失ったショックは大きかったのだろう。


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