MLBの公式サイトも、ニューヨーク・ヤンキースの公式サイトも、松井秀喜引退がトップだった。これにはぐっときた。
MLBで松井秀喜がオーダーを組んだメンバーの記録。
ニューヨーク・ヤンキース=NYYで7年、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム=LAA、オークランド・アスレチックス=OAK、タンパベイ・レイズ=TBで各1年。松井秀喜の旅も長くなったものだ。
1年目に松井とともに外野を守っていたバーニー・ウィリアムス、ラウル・モンデシーはとっくに引退している。
松井秀喜は本塁打を打つ高い技術を持っていた。ティーバッティングでもボールの下半分を叩いていたが、ボールに逆回転を与えて飛距離を出す技術はほぼ完成していると言われた。
松井が打ったボールは、ほんの少しバットから出遅れるような瞬間があって、高い角度で飛んでいく。凄まじいスイングの持ち主ではあったが、松井の本塁打は、技術で打っていたのではないかと思う。
しかしMLBには想像を絶するような本塁打者がいた。ジェイソン・ジアンビやバリー・ボンズは、盛り上がるような上体の力でボールを有無を言わさずにスタンドに叩きこんでいた。これは、松井には真似ができないことだっただろう。
松井秀喜が本当に驚いたのは、アレックス・ロドリゲスではなかったか。鉄のような体をしていたが、A-RODはやみくもに振り回すのではなく、ボールを的確に芯でとらえる。最初の主要タイトルが首位打者だったことでもわかるように、A-RODはシュアなアベレージヒッターだった。しかし、的確にとらえたボールをより遠くへ飛ばすようになって、A-RODは本塁打を量産し始めたのだ。まるでゴルファーのような美しいスイングから、アーチが飛び出すのを見て、松井は「とてもかなわない」と思ったようだ。
MLBには、いろいろなスタイルで本塁打を打つ打者がいる。しなやかな鞭のようにバットを扱うゲイリー・シェフィールド、本塁打を狙ってバットを振り回すアルフォンソ・ソリアーノ。
こうした打者たちに接するうちに、松井は本塁打争いに名乗りを上げる気が失せたのではないか。
松井は中軸を打ちながらもチームバッティングに徹した。本塁打数は少なかったが、100打点をコンスタントにクリアした。RBIイーターの名を得るようになった。
また、NPB時代から優れていた選球眼にも磨きがかかった。
派手な活躍はそれほどないが、常にチームに貢献している。常勝NYYにとって、こういう選手こそが必要とされたのだ。
2006年の松井秀喜は、例年以上に好調で、本塁打も2年ぶりに30本を超しそうな勢いだった。しかし5月11日に左翼を守っていて、浅めのフライを捕球する際にグラブが芝に引っかかって、体重が左手首に乗る形となり骨折。4か月間戦線離脱した。この時の松井の驚愕の表情は、今も目に焼き付いている。
これが松井の暗転となった。松井は翌年には復帰して25本塁打103打点を挙げているが、膝の故障が度々起こり、十分にプレーできなくなった。
またこの時期からスランプが長くなった。コンディションの維持ができなくなっていったのだ。
2009年のポストシーズンでの大活躍、ワールドシリーズMVPは、松井秀喜のMLBでのエポックとなったが、NYYにとっては、松井は高額の年俸(当時1300万ドル)で契約を延長する選手ではなくなっていた。
以後はジャーニーマンとなって、3年の現役生活を永らえたが、好調時は短く、スランプが長くなっていった。
今思えば、LAAでの成績は、決して恥ずかしいものではなかったが、MLBはこの時期から世代交代が進んでおり、ベテランの大物選手に対する評価が下落する傾向にあった。
OAKでも夏場に大活躍をしたが、以後、鳴かず飛ばずでFA。
そして今年は、調子が上がることなくTBを短期でリリースされた。
年齢の問題もあるだろう。膝の古傷の問題も大きかっただろう。レギュラーとして暖気運転をするうちに調子が上がってくるタイプだけに、一発勝負で結果を出すのは難しかったのだ。
松井は「自分で何とかなることには全力を尽くすが、自分で何ともならないことには悩まない」と言っていた。移籍先が決まらなくとも、少なくとも表面的にはゆったりと構えていた。大人の風格があった。
我々ファンは、松井が不振に陥るたびに歯がゆい思いをした。「なぜもっとがむしゃらにやらないのか」とも思った。
恐らく松井は常人以上の努力をしていたのだろう。しかし、それをおくびにも出さず、泰然としていたのだと思う。
松井秀喜が活躍できないことにファンは、がっかりはしたが、彼のことを嫌いになることはなかった。松井は、いつも穏やかで、誰かを非難することもなく、自らの境遇をかこつこともなかった。「自己責任」という言葉を知っていたように思う。
MLBにはいろいろとトラブルがある。おかしな言動をする選手もたくさんいるが、松井は良いときも悪いときも常に平静で、誠実だった。荒ぶる西部劇の舞台で、一人侍が活躍する「レッドサン」という映画を思わせた。
松井は身を以て、「MLBとはどんな世界か」を我々に見せてくれた。そして同時に、アメリカの人々に「日本人とはどんな人間なのか」を知らしめてくれた。
歳月とともに、懐かしい選手になるのだろう。松井秀喜という大打者がいたことを我々は忘れない。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。今日は 江川卓、高卒でプロ入りありせば
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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ニューヨーク・ヤンキース=NYYで7年、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム=LAA、オークランド・アスレチックス=OAK、タンパベイ・レイズ=TBで各1年。松井秀喜の旅も長くなったものだ。
1年目に松井とともに外野を守っていたバーニー・ウィリアムス、ラウル・モンデシーはとっくに引退している。
松井秀喜は本塁打を打つ高い技術を持っていた。ティーバッティングでもボールの下半分を叩いていたが、ボールに逆回転を与えて飛距離を出す技術はほぼ完成していると言われた。
松井が打ったボールは、ほんの少しバットから出遅れるような瞬間があって、高い角度で飛んでいく。凄まじいスイングの持ち主ではあったが、松井の本塁打は、技術で打っていたのではないかと思う。
しかしMLBには想像を絶するような本塁打者がいた。ジェイソン・ジアンビやバリー・ボンズは、盛り上がるような上体の力でボールを有無を言わさずにスタンドに叩きこんでいた。これは、松井には真似ができないことだっただろう。
松井秀喜が本当に驚いたのは、アレックス・ロドリゲスではなかったか。鉄のような体をしていたが、A-RODはやみくもに振り回すのではなく、ボールを的確に芯でとらえる。最初の主要タイトルが首位打者だったことでもわかるように、A-RODはシュアなアベレージヒッターだった。しかし、的確にとらえたボールをより遠くへ飛ばすようになって、A-RODは本塁打を量産し始めたのだ。まるでゴルファーのような美しいスイングから、アーチが飛び出すのを見て、松井は「とてもかなわない」と思ったようだ。
MLBには、いろいろなスタイルで本塁打を打つ打者がいる。しなやかな鞭のようにバットを扱うゲイリー・シェフィールド、本塁打を狙ってバットを振り回すアルフォンソ・ソリアーノ。
こうした打者たちに接するうちに、松井は本塁打争いに名乗りを上げる気が失せたのではないか。
松井は中軸を打ちながらもチームバッティングに徹した。本塁打数は少なかったが、100打点をコンスタントにクリアした。RBIイーターの名を得るようになった。
また、NPB時代から優れていた選球眼にも磨きがかかった。
派手な活躍はそれほどないが、常にチームに貢献している。常勝NYYにとって、こういう選手こそが必要とされたのだ。
2006年の松井秀喜は、例年以上に好調で、本塁打も2年ぶりに30本を超しそうな勢いだった。しかし5月11日に左翼を守っていて、浅めのフライを捕球する際にグラブが芝に引っかかって、体重が左手首に乗る形となり骨折。4か月間戦線離脱した。この時の松井の驚愕の表情は、今も目に焼き付いている。
これが松井の暗転となった。松井は翌年には復帰して25本塁打103打点を挙げているが、膝の故障が度々起こり、十分にプレーできなくなった。
またこの時期からスランプが長くなった。コンディションの維持ができなくなっていったのだ。
2009年のポストシーズンでの大活躍、ワールドシリーズMVPは、松井秀喜のMLBでのエポックとなったが、NYYにとっては、松井は高額の年俸(当時1300万ドル)で契約を延長する選手ではなくなっていた。
以後はジャーニーマンとなって、3年の現役生活を永らえたが、好調時は短く、スランプが長くなっていった。
今思えば、LAAでの成績は、決して恥ずかしいものではなかったが、MLBはこの時期から世代交代が進んでおり、ベテランの大物選手に対する評価が下落する傾向にあった。
OAKでも夏場に大活躍をしたが、以後、鳴かず飛ばずでFA。
そして今年は、調子が上がることなくTBを短期でリリースされた。
年齢の問題もあるだろう。膝の古傷の問題も大きかっただろう。レギュラーとして暖気運転をするうちに調子が上がってくるタイプだけに、一発勝負で結果を出すのは難しかったのだ。
松井は「自分で何とかなることには全力を尽くすが、自分で何ともならないことには悩まない」と言っていた。移籍先が決まらなくとも、少なくとも表面的にはゆったりと構えていた。大人の風格があった。
我々ファンは、松井が不振に陥るたびに歯がゆい思いをした。「なぜもっとがむしゃらにやらないのか」とも思った。
恐らく松井は常人以上の努力をしていたのだろう。しかし、それをおくびにも出さず、泰然としていたのだと思う。
松井秀喜が活躍できないことにファンは、がっかりはしたが、彼のことを嫌いになることはなかった。松井は、いつも穏やかで、誰かを非難することもなく、自らの境遇をかこつこともなかった。「自己責任」という言葉を知っていたように思う。
MLBにはいろいろとトラブルがある。おかしな言動をする選手もたくさんいるが、松井は良いときも悪いときも常に平静で、誠実だった。荒ぶる西部劇の舞台で、一人侍が活躍する「レッドサン」という映画を思わせた。
松井は身を以て、「MLBとはどんな世界か」を我々に見せてくれた。そして同時に、アメリカの人々に「日本人とはどんな人間なのか」を知らしめてくれた。
歳月とともに、懐かしい選手になるのだろう。松井秀喜という大打者がいたことを我々は忘れない。
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