師走の忙しいときに、『ベースボールレコードブック』の古いのをひっくり返していたわけである。松井秀喜の332本塁打を一覧表にしてみた。
長々とした表。小サイズになるのはご容赦願いたい。またGoogleに「重たい!」と怒られる。
松井は1993年の5月1日、東京ドームのヤクルト戦でデビューした。7番左翼。当時の4番は原辰徳。
そして翌2日の試合の4打席目に高津臣吾から初本塁打を打った。カウントは2ボール1ストライク、速球を振りぬくと右翼中断に突き刺さった。130mの立派な本塁打だった。
以後、順調に本塁打数を伸ばしていく。
96年までの4年間で目立つのは、斎藤隆をカモにしていたこと。96年までの91本塁打の内、11本が斎藤である。齋藤にしてみれば、顔を見るのも嫌だっただろう。
99年に40本の大台に乗ってからは、スランプも減ってリーグ最強打者の風格が出てくる。
2001年は6月6日に打ってから1か月弱本塁打が出なかったが、9月に入ると11本の量産。この頃には「松井のスランプ」がニュースになるようになった。大打者に成長したのだろう。
2002年も当初は冴えなかった。6月はわずか3本。しかし7月11本、8月13本、9月7本と量産して50本に乗せた。
日本での最後の本塁打は東京ドームのヤクルト戦、相手は五十嵐亮太。1ボール2ストライクから左中間に120mのソロ本塁打。332本目だった。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は宮本和知
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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松井は1993年の5月1日、東京ドームのヤクルト戦でデビューした。7番左翼。当時の4番は原辰徳。
そして翌2日の試合の4打席目に高津臣吾から初本塁打を打った。カウントは2ボール1ストライク、速球を振りぬくと右翼中断に突き刺さった。130mの立派な本塁打だった。
以後、順調に本塁打数を伸ばしていく。
96年までの4年間で目立つのは、斎藤隆をカモにしていたこと。96年までの91本塁打の内、11本が斎藤である。齋藤にしてみれば、顔を見るのも嫌だっただろう。
99年に40本の大台に乗ってからは、スランプも減ってリーグ最強打者の風格が出てくる。
2001年は6月6日に打ってから1か月弱本塁打が出なかったが、9月に入ると11本の量産。この頃には「松井のスランプ」がニュースになるようになった。大打者に成長したのだろう。
2002年も当初は冴えなかった。6月はわずか3本。しかし7月11本、8月13本、9月7本と量産して50本に乗せた。
日本での最後の本塁打は東京ドームのヤクルト戦、相手は五十嵐亮太。1ボール2ストライクから左中間に120mのソロ本塁打。332本目だった。
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本塁打を打たれた投手を思わず見てしまいました。第1号が高津だということは有名でしたが、キャリアの若い頃を見ると懐かしい顔ぶれが並んでいますね。星陵の大先輩である小松からも打っていたとは……打たれた投手にとっても、今となっては、名誉なことなのかもしれません。
余談ですが、ナゴヤドームの開場は1997年です。あそこの5階席にぶちこんだ、数少ない選手が松井でしたね。