さて、ホーレス・ウィルソンら「お雇い外国人」が持ち込んだ「野球」とは、どんなものだったのだろうか。
当時、日本で行われていた野球は、グラブもミットも使われていなかった。バットで打った球を素手でつかんでいたのである。
投手はソフトボールのように下手投げで投げた。投げるときは、一方の手(右投げなら左手、左投げなら右手)は、膝にあてていた。またスナップを利かせることは禁じられていた。
投球が緩かったから、グラブの類は必要なかったのだろう。また、ポジションも定まっておらず、打者に合わせて思い思いに守っていたようだ。
当時、洋服は高価だったから、外国人教師を除いて選手たちは着物だった。
ボールもバットも外国から持ち込まれたもので、貴重だった。
前述したようにウィルソンの教え子には維新の元勲、木戸孝允の養子、木戸孝正、大久保利通の二男の牧野伸顕らがいた。
木戸、牧野は1871年遣欧使節団に加わって渡米、1874(明治7)年に帰国したが、このときにもバットとボールを持ち込んだようだ。当時の開成学校には、ウィルソンが持ち込んだものと、木戸らが持ち込んだものの二セットの野球用具があったのだろうか。
学生たちは相当夢中になったようで、雨でも蓑笠をつけて野球をした。そのために、ボールはすぐに破れた。
学生たちは、破れたボールを分解して、その構造を調べた。そして、当時貴重だったゴムが使われていることを知り、ゴム靴の底をはがして使うことにした。またボールの縫製は神保町の靴屋に頼み込んだ。
日本で最初に作られた野球用具はボールだったのだ。
ボールを分解して自作した顔ぶれは、木戸孝正のほか、久原躬弦(1856-1919)、青木元五郎(1855-1932)などだった。久原は後の京都大学総長、青木は工学博士、内務省技官となり日本の土木事業の発展に貢献。いずれもエリート中のエリートだった。


しかし、野球ブームはそれほど長くは続かなかったようだ。
学生たちが卒業し、ウィルソンが1877(明治10)年に帰国すると、開成学校の野球熱は下火になったようだ。
また、開拓使假学校にお雇い外国人、アルバート・ベーツによってもたらされた野球は、この学校が札幌に移転して札幌農学校になるとともに、北海道へと移ったが、これがどれくらい普及したかはよくわからない。
1860~80年代のアメリカ野球界は、ルール改正が相次いでいた。
1863年 「ボール」のコールができる(ストライクは1858年)
1872年 スナップスローの投球が許される
1879年 ナインボールとなる
1880年 エイトボールとなる
1881年 投手と打者の距離が45フィート(13.71m)から、50フィート(15.24m)になる
1882年 セブンボールとなる
1884年 シックスボールとなる オーバースローが許される
1887年 打者が投手にコースを指定できなくなる
1889年 フォアボールとなる
もし、ウィルソンなどお雇い外国人がもたらした野球がそのまま根付いていたとすれば、日本の野球は1870年代のスタイルのままだったかもしれない。
またウィルソンたちは、野球の専門家ではない。きっかけは与えただろうが、今につながる野球を伝来させたというのは、少し大げさな気がする。
野球の本格的な導入と普及は、1877(明治10)年に、アメリカで野球を経験した平岡熙の帰国を待たなければならなかった。
ただ、ウィルソン、ベーツ、熊本洋学校に野球をもたらしたジェーンズ、札幌農学校のクラークなど、米国人の「お雇い外国人」がそろいもそろって野球を紹介したということは、注目すべきだろう。当時のアメリカでは、それほど野球が流行していたということだ。
すでに1871(明治4)年には9球団からなるプロ野球リーグが始まっており、1年目はフィラデルフィア・アスレチックスが優勝している。すでにメジャーなスポーツだったのだ。
この頃の日本でいう「野球」とは、ボールを打ってそれを取るのが主であって、試合をすることは稀だったようだ。
日本で最初の野球ゲームは明治4(1871)年、現在横浜スタジアムのある横浜公園で横浜に滞在した外国人チームと船員チームが、行ったのが始まりとされる。
しかし、日本人同士の対外試合が行われた形跡はない。
開成学校や開拓假学校などのエリート学生たちが楽しんでいた「野球」とは、「練習」のことだったのだ。
これは示唆的なことではある。
アメリカでは野球は試合を通じてうまくなると言われるが、日本ではとにかく「練習、練習」。
日本の学生野球では、1試合も出場しないままに終わる生徒も珍しくないが、こうした「練習中心主義」の根底に、萌芽期の日本の野球の姿があったのかもしれない。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は槙原寛己

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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投手はソフトボールのように下手投げで投げた。投げるときは、一方の手(右投げなら左手、左投げなら右手)は、膝にあてていた。またスナップを利かせることは禁じられていた。
投球が緩かったから、グラブの類は必要なかったのだろう。また、ポジションも定まっておらず、打者に合わせて思い思いに守っていたようだ。
当時、洋服は高価だったから、外国人教師を除いて選手たちは着物だった。
ボールもバットも外国から持ち込まれたもので、貴重だった。
前述したようにウィルソンの教え子には維新の元勲、木戸孝允の養子、木戸孝正、大久保利通の二男の牧野伸顕らがいた。
木戸、牧野は1871年遣欧使節団に加わって渡米、1874(明治7)年に帰国したが、このときにもバットとボールを持ち込んだようだ。当時の開成学校には、ウィルソンが持ち込んだものと、木戸らが持ち込んだものの二セットの野球用具があったのだろうか。
学生たちは相当夢中になったようで、雨でも蓑笠をつけて野球をした。そのために、ボールはすぐに破れた。
学生たちは、破れたボールを分解して、その構造を調べた。そして、当時貴重だったゴムが使われていることを知り、ゴム靴の底をはがして使うことにした。またボールの縫製は神保町の靴屋に頼み込んだ。
日本で最初に作られた野球用具はボールだったのだ。
ボールを分解して自作した顔ぶれは、木戸孝正のほか、久原躬弦(1856-1919)、青木元五郎(1855-1932)などだった。久原は後の京都大学総長、青木は工学博士、内務省技官となり日本の土木事業の発展に貢献。いずれもエリート中のエリートだった。
しかし、野球ブームはそれほど長くは続かなかったようだ。
学生たちが卒業し、ウィルソンが1877(明治10)年に帰国すると、開成学校の野球熱は下火になったようだ。
また、開拓使假学校にお雇い外国人、アルバート・ベーツによってもたらされた野球は、この学校が札幌に移転して札幌農学校になるとともに、北海道へと移ったが、これがどれくらい普及したかはよくわからない。
1860~80年代のアメリカ野球界は、ルール改正が相次いでいた。
1863年 「ボール」のコールができる(ストライクは1858年)
1872年 スナップスローの投球が許される
1879年 ナインボールとなる
1880年 エイトボールとなる
1881年 投手と打者の距離が45フィート(13.71m)から、50フィート(15.24m)になる
1882年 セブンボールとなる
1884年 シックスボールとなる オーバースローが許される
1887年 打者が投手にコースを指定できなくなる
1889年 フォアボールとなる
もし、ウィルソンなどお雇い外国人がもたらした野球がそのまま根付いていたとすれば、日本の野球は1870年代のスタイルのままだったかもしれない。
またウィルソンたちは、野球の専門家ではない。きっかけは与えただろうが、今につながる野球を伝来させたというのは、少し大げさな気がする。
野球の本格的な導入と普及は、1877(明治10)年に、アメリカで野球を経験した平岡熙の帰国を待たなければならなかった。
ただ、ウィルソン、ベーツ、熊本洋学校に野球をもたらしたジェーンズ、札幌農学校のクラークなど、米国人の「お雇い外国人」がそろいもそろって野球を紹介したということは、注目すべきだろう。当時のアメリカでは、それほど野球が流行していたということだ。
すでに1871(明治4)年には9球団からなるプロ野球リーグが始まっており、1年目はフィラデルフィア・アスレチックスが優勝している。すでにメジャーなスポーツだったのだ。
この頃の日本でいう「野球」とは、ボールを打ってそれを取るのが主であって、試合をすることは稀だったようだ。
日本で最初の野球ゲームは明治4(1871)年、現在横浜スタジアムのある横浜公園で横浜に滞在した外国人チームと船員チームが、行ったのが始まりとされる。
しかし、日本人同士の対外試合が行われた形跡はない。
開成学校や開拓假学校などのエリート学生たちが楽しんでいた「野球」とは、「練習」のことだったのだ。
これは示唆的なことではある。
アメリカでは野球は試合を通じてうまくなると言われるが、日本ではとにかく「練習、練習」。
日本の学生野球では、1試合も出場しないままに終わる生徒も珍しくないが、こうした「練習中心主義」の根底に、萌芽期の日本の野球の姿があったのかもしれない。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は槙原寛己

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野球の魅力とはこの様な創世記の歴史から生み出されているのでしょうね。
私の父(1933年生まれ)は子供のころ小石とぼろきれのボールと素手で野球をし、私(1967年生まれ)は拾い物のグラブでボールを追いかけ、私の息子(2005年生まれ)は二年ごとにグラブ、バットを変えて野球をしてます。
時代が変われど野球とはつまりボールを追いかけることなのでしょうね。
広尾様すばらしい記事ありがとうございます。