今度はチーム単位で見ていこう。NPB史上最も打撃が好調だったのはどのチームか?

打率でいえば2003年のダイエーホークス。この年首位打者は日本ハムの小笠原道大だったが、ダイエーは井口資仁.340(4位)、柴原洋.333(5位)、城島健司.330(6位)、村松有人.3239(8位)、松中信彦.32388(9位)、バルデス.311(11位)、川崎宗則.294(21位)という凄まじさだった。チーム打率は3割に迫っている。
.290台のチームは8つあるが、1951、52年の巨人、46年の阪神はラビットボールの恩恵だろう。
本塁打は1980年の近鉄。マニエル48本、羽田耕一30本、栗橋茂28本、平野光泰23本、佐々木恭介19本、小川亨15本、梨田昌孝15本と7人が二けた本塁打だった。
2010年阪神も.290。平野恵一.350(2位)、マートン.349(3位)、新井貴浩.311(7位)、城島健司.303(12位)、鳥谷敬.301(13位)、ブラゼル.296(15位)。
優勝チームに赤色を付けたが、強力打線であっても必ずしも優勝するとは言い切れないことが分かる。
NPB史上最も貧打のチームはどこか。
データを取る前から、戦前のチームが上位を占めるのはわかっていた。以下の表は参考までに見ていただきたい。

2リーグ制移行の貧打チームを見ていこう。

1962年の国鉄が最弱。チーム打率トップは徳武定之の.244(20位)、続いて土屋正孝の.213(27位)という状態だった。
リーグ別でみるとワースト30傑にセリーグが20、パリーグが10。しかも13チームがドラフト以前。セリーグは長い期間「格差社会」だったことがわかる。
この表に巨人は1度も登場しない。
ワースト30に入るチームの中で優勝したのは62年の阪神だけ。村山、小山の両エースが防御率1、2位を占め、合わせて52勝。投手力で優勝した。
統一球導入後のチームのワースト4を付記した。相当な貧打である。
特に阪神は2010年の.290から2年後に.236まで下落。阪神の今の低迷は、統一球に変わって強力打線が壊滅し、次のプランを立てられなかったことにあろう。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1965年の先発投手陣の成績

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2位は前年日本一のマシンガン打線の名残です。
飛ぶボールは50年限りのはずなので、4位と5位は、第一期他球団の選手強奪の結果です。
6位は狭い球場で「飛ぶボール」(球団歌のとおりという冗談もありましたが)でした。
7位は打ちまくりましたが、金本という盤面全てがチューリップというパチンコ台のような選手がいて、実質8人で守っているようでは勝てません。その後統一球で飛距離が落ちたことを未だに首 陣は理解してません(脳がないのです)。
8位は戦時中も関連会社なので多くの選手が残っていたからなんでしょうが、投手不足と早くも内紛が発生して優勝できず、9位は三冠王の落合が牽引したから、10位は飛ぶボールと選手強奪合戦のお陰です。
1950年代以降の打てないチーム、新興チームなのは想像が付きますよね。分配ドラフトとか考えもつかないし、既存勢力が嫌がるのは目に見えてますから(ま、合衆国にさえドラフト制度は無かったんですけれど)。