2年前の楽天への入団はかなり地味なものだった。「凱旋復帰」とは言われなかった。

アメリカに渡る前、松井は「内野のイチロー」だった。最短距離でバットを鋭く振りぬき、糸を引くような鋭いライナーを連発する中距離打者、そして俊足。遊撃手としても、守備範囲が広く強肩。
2001年にイチローがアメリカに渡って大ブレークし、2003年には松井秀喜がヤンキースで数字を残した。
松井稼が失敗することなどあり得ない、と思ったものだ。
しかし、ニューヨーク・メッツ=NYMでは、信じられないようなプレーが続いた。開幕戦こそ初打席初本塁打で沸かせたが、守備、打撃ともに精彩を欠いた。重要な場面での失策が続いたうえに、打率がなかなかあがらない。夏ころには松井が打席に立つとブーイングが聞こえるようになった。
「イチロー並みにやってくれるに違いない」と期待が高かった分、失望感も大きかったのだ。
2年目には二塁にコンバートされたが、この頃の松井は自信喪失しているのがはっきりわかった。
3年目にコロラド・ロッキーズに移籍。以後は一軍半のジャーニーマンとしてなお4年間アメリカでプレーした。
今から思えば、入ったチームが良くなかった。NYMは、オマー・ミナヤがGMに就任、強力な補強をしたが成績が上がらなかった。周囲の評価が下がる中で、松井のMLBへの順応を長い目で見守る余裕はなかった。1年目で4位。松井は「戦犯」扱いされてしまった。この点、2011年の西岡剛とよく似た境遇だ。
1年目で失った自信を取り戻すことなく、松井は6シーズンをアメリカで過ごしたのだ。
アメリカでのトータルの数字は、それほどひどいものではないが、失意のうちに日本に帰還。そして楽天に身を投じたのだ。
巡りあわせの悪いことに、この年から統一球が導入された。松井は、同時に日本に復帰した岩村明憲とともにこの球に苦しみ、成績は低迷。それでもシーズン終盤には盛り返し、最多二塁打も記録したが、松井に注目が集まることはなかった。
2年目の昨年は主将となったが、腰痛に悩まされた。しかし出場すれば松井は力強い打撃を見せた。ただ規定打席には届かなかった。
松井を見る周囲の目は意外なほどに乾いている。外国人選手に対する眼差しに近いと言っても良いのではないか。6年の歳月は、松井を「帰国子女」に変えたのだと思う。
すでに松井は「名球会」のメンバーだ。日米での合わせ技で2000本安打を達成しているからだ。しかし「功成り名遂げた」という意識はないだろう。
今年、大型補強をした楽天は初優勝を目指している。松井はその中心にあって、チームをけん引したいと思っているのではないか。
自らのキャリアの最終章を飾るためにも、そして米での6年間が無駄でなかったことを証明するためにも、松井は「数字」と「輝き」を取り戻さなければならない。
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。本日は村上之宏

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パ出身の選手にありがちな、実際とは違うイメージが一人歩きしていつの間にか正式なプロフィールになってしまったパターンですね。
ファインプレーも多いですが、軽卒なエラーも本拠地が人工芝なのに多い選手だったので天然芝メインのアメリカでは…とよく見ている人からは危惧する声がありました。
あと、松井はショートゴロを捕る時に身体の右で捕っていたのですが、アメリカのコーチに
「身体の正面で捕れ!小学生で習う基本が出来てない」
と言われたそうです。
そういった悩みもあったのでしょう。