勝手ながら、今日は阪神のJFKの日としたい。クラシックSTATS鑑賞という続き物が、ちょうどJFKに差し掛かるのだ。阪神、そしてNPBの歴史でも画期を成すと思われるこの選手起用を概観してみたい。
3人、Gは登板数、SVはセーブ数、HD(2005年から)ホールド数、JFKのGは3人の登板数、%は全試合数に占める比率、SP数は救援勝利数+SV、W%は勝利数に占めるSPの%、HDは3人のHD数、W%は勝利数に占めるHDの%、さらにStarterは阪神の先発投手、CGは完投数、Qは規定投球回数に達した投手の数。

JFK-20120122













ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3人の投手がそろって1軍で投げたのは2003年のことだ。新外国人ウィリアムスはクローザーとして成功。この年は井川慶が20勝の活躍をして優勝。翌年は投打ともに衰えて4位。ウィリアムスは五輪のオーストラリア代表となり欠場。この年までは3人が意識されることはなかった。

2005年、クローザーのウィリアムスをセットアッパーに転換、藤川が繋ぎ、久保田がクローザーという図式が確定。7月に日刊スポーツがJFKと命名した。ここまで明確な投手起用はこれまでなかった。3人のSPの合計は43と総勝利数の49.4%に達した。阪神は87勝を挙げて優勝。ただ注目すべきはこの年、井川慶(172.1回13勝)、福原忍(171.2回8勝)安藤優也(146回11勝)と3人の規定投球回数以上の投手がおり、さらに杉山直久(134.2回9勝)、下柳剛(132.1回15勝)と5人の先発投手が仕事をしていたことだ。

翌年は2位に終わったものの84勝。この年はむしろ先発投手が頑張った年で井川慶(209回14勝)、福原忍(154.2回12勝)、下柳剛(150.1回12勝)の規定投球回数以上3投手に加え安藤優也(129回10勝)と4人の10勝投手がいた。さらにダーウィン(49試合)、江草(36試合)、能見(38試合)と中継ぎが活躍したためJFKは、登板試合数を減らしている。

JFKという名が独り歩きをし出したのは、翌2007年のことだ。藤川と久保田の役割を入れ替えたこの年は、久保田が90試合という空前の登板数を記録した。しかしながら彼らが身を削って奮闘したにもかかわらず、チームは3位。74勝に終わった。原因は明白。この年、規定投球回数に達した投手は0。10勝以上も下柳一人。完投も3しかなかった。先発投手が総崩れ。とにかく何が何でもJFKにつなげという作戦だったのだ。岡田彰布監督は単なるキャッチフレーズに過ぎないJFKを「必勝の武器」と勘違いしていたような節がある。実態は生身の3人の投手であり、神通力があるわけではない。

2008年は先発投手陣がやや盛り返し、下柳剛(162.1回11勝)、岩田稔(159.1回10勝)、安藤優也(154.2回13勝)が規定投球回数に達した。またアッチソンというロングリリーフのきく中継ぎ投手を獲得。しかし、JFKのうち久保田とウィリアムスは後半戦には調子を落としており、実質的には藤川のみが健在という状態だった。JFK崩壊の兆しが表れたのだ。

そして2009年、久保田が投げられなくなり、ウィリアムスも戦線離脱。JFKは終焉を迎えた。

JFKが完全に機能したのは2005年だけと言ってよいのではないか。野球は先発投手と救援投手がバランスよく働いてこそ白星が増える。また救援投手は常に5~6人が機能してこそ長続きもする。阪神にもJFK以外に江草、アッチソン、渡辺亮、桟原など使える救援投手がいたが、いずれも長続きしていない。雑な使われ方をしたという印象だ。

最近の野球はクローザーよりもむしろセットアッパーが重要になってきているが、JFK以降の強豪チームは今季のソフトバンク(森福、岩嵜、金澤、ファルケンボーグ、吉川、馬原)、中日(浅尾、小林正、鈴木義、三瀬、平井、岩瀬)のように、各投手への負担が分散するような投手起用をしているように思われる(それでも浅尾がどこまで持つかは気がかりだが)。

JFKは成功事例というより、極端な投手起用法として野球史には反面教師的に刻まれるのではないか。

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