40歳を過ぎてへとへとという感じの昨今だけを見ると、矢野は細い体に鞭打って頑張るただの“ベテラン捕手”に過ぎないが、実は阪神史上最強の捕手だった。少し長い表だが、2リーグ分立後の阪神の歴代捕手の一覧を見ていただきたい。






阪神だけではないが、かつて、捕手というポジションはオフェンス面ではほとんど期待されていなかった。2リーグ分立直後の正捕手徳網茂はルーキーだったがアベレージヒッターであり、当時としては珍しい打てる打者だった。しかし以後は規定打席に達する打者は皆無。100安打など遠い夢。2番手捕手に至っては打率2割さえ望むべくもなかった。

1969年に法政大学から入った田淵幸一が、いかに破天荒な捕手だったかはこれを見れば一目瞭然だ。前任者の辻佳紀(ひげ辻)や、控えの和田徹も強打で知られた捕手だったが、田淵はケタ違いだった。打線のお荷物どころか不動の4番。しかも強肩で知られた。エースの江夏との相性も抜群。まさに攻守のかなめだった。しかし、以後の田淵は良く知られているように捕手失格の烙印を押されていく。ファウルを追わない、ブロックができない。実際にはマスコミの阪神不振の“犯人探し”の犠牲者という部分も多かったと思うが、田淵は傷心の果てに西武に移籍する。以後、田淵のような存在は現れず、また捕手として絶対的な信頼感を与える選手もあらわれず、阪神は「帯に短し襷に長し」でやってきたのである(阪神だけでなく、多くの球団にとって“不動の捕手”を得るのは幸甚そのものといってよいと思うが)。

98年矢野の阪神移籍がどれほど大きなことだったかは、この表で明らかだ。矢野は田淵ほどの攻撃力はなかったが、はるかに大きな安定感、信頼性があった。しかも年間100安打以上を8度。立派なレギュラー打者でもあった。移籍の時点ですでに30歳だったが、阪神は矢野に投手陣を委ねた。吉田義男、野村克也、そして星野、岡田という個性の異なる指揮官に信頼され続けたことも評価できる。

実に11年の長きにわたって、矢野は阪神の正捕手であり続けた。これは田淵の9年を抜いて最長である。
名球会や野球殿堂などとは無縁だが、偉大な選手だったといえるだろう。

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