山井のノーヒットノーランは77人目、通算88回目。これまでの記録をいろいろ見てみる。
球団別の記録 ノーヒットノーランをした数、喫した数を並べる。いわば収支表。
大投手が居並ぶ巨人は15回ノーヒッターを記録、8回喫しているが大きく勝ち越している。
他にはヤクルトが大きく勝ち越している。金田正一が2回、大脇照夫、宮地惟友、森滝義巳、テリー・ブロスで計6回。1961年までの12シーズンで5回も記録している。
目につくのはホークスが1回しか記録していないこと。60年代までは巨人と並ぶNPB屈指の強豪チームだったが、1943年5月26日の大和戦で別所昭(毅彦)が記録したのみ。
大投手杉浦忠、皆川睦雄なども記録なし。杉内俊哉は巨人に移籍したとたんに記録した。
野村克也が一度もノーヒッターを受けていないのは有名だが、不思議な記録ではある。
1リーグ時代に21回、2リーグ以降に67回記録しているが、セパで見ると、セが40回記録して38回記録されている。パは27回記録して29回記録されている。これは交流戦で楽天が2度、ノーヒッターを喰らっているためだ。
球場別の各球団記録
古くから本拠地だった球場が並ぶ。昔はフランチャイズ以外の球場での試合も多かったので、意外なチームが意外な球場で記録している。
前述のように南海はたった1度しかノーヒッターをしていないが、それは別所が神戸球場で達成したもの。本拠地大阪球場ができてからは一度も達成していない。しかし、大阪球場では巨人、阪急、西鉄、国鉄、近鉄(2度)と7回もノーヒッターが出ている。阪神がフランチャイズにしていた時期の巨人を除いて、南海が本拠地のファンの前で喫したものだ。私は76年の戸田のノーヒッターをありありと覚えているが、実に情けなかった。
満州が実質的な日本の植民地だった時期に、大連で2度記録されているのも歴史を感じさせる。
奪三振、与四死球別のマトリックス
1リーグ時代と以後とに分けた。
戦前の投手の制球力は、今と比べると大きく見劣りするが、それを物語るように、1リーグ時代は8個以上も四球を出したノーヒッターが3度ある。唯一の二けた与四死球は1939年11月3日対セネターズ戦で巨人中尾輝三が記録した10(6奪三振)、よくぞ失点しなかったものだ。
近年は、変化球の多様化で奪三振数が増えているが、二けた奪三振でのノーヒッターは14回。三振を狙う投球は球数が増えるし、安打される可能性が高くなる。
最多の16奪三振は1968年9月14日、広島外木場義郎が大洋戦で記録した16。与四死球もない完全試合だった。これが一番すごいノーヒッターかもしれない。
外木場はノーヒッターをNPBで唯一3回記録しているが、その奪三振-与四死球は3-1、16-0、2-1、投球スタイルは大きく変わったのだ。
四球を出さないノーヒッターは完全試合だと思いがちだが、失策が絡むと完全にはならない。
1948年9月6日阪神戦の大陽真田重蔵と、2006年9月16日阪神戦の中日山本昌は、共に失策があったため完全試合を逃した。5奪三振、9月の試合、対戦相手は阪神と、妙に共通点が多い。
楽天イーグルスは2度ノーヒッターを喫しているが、まだ一度も達成していない。田中将大には、置き土産に今年、ぜひ記録してもらいたいものだ。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
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クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1957年のパ投手陣 新人稲尾の大活躍
大投手が居並ぶ巨人は15回ノーヒッターを記録、8回喫しているが大きく勝ち越している。
他にはヤクルトが大きく勝ち越している。金田正一が2回、大脇照夫、宮地惟友、森滝義巳、テリー・ブロスで計6回。1961年までの12シーズンで5回も記録している。
目につくのはホークスが1回しか記録していないこと。60年代までは巨人と並ぶNPB屈指の強豪チームだったが、1943年5月26日の大和戦で別所昭(毅彦)が記録したのみ。
大投手杉浦忠、皆川睦雄なども記録なし。杉内俊哉は巨人に移籍したとたんに記録した。
野村克也が一度もノーヒッターを受けていないのは有名だが、不思議な記録ではある。
1リーグ時代に21回、2リーグ以降に67回記録しているが、セパで見ると、セが40回記録して38回記録されている。パは27回記録して29回記録されている。これは交流戦で楽天が2度、ノーヒッターを喰らっているためだ。
球場別の各球団記録
古くから本拠地だった球場が並ぶ。昔はフランチャイズ以外の球場での試合も多かったので、意外なチームが意外な球場で記録している。
前述のように南海はたった1度しかノーヒッターをしていないが、それは別所が神戸球場で達成したもの。本拠地大阪球場ができてからは一度も達成していない。しかし、大阪球場では巨人、阪急、西鉄、国鉄、近鉄(2度)と7回もノーヒッターが出ている。阪神がフランチャイズにしていた時期の巨人を除いて、南海が本拠地のファンの前で喫したものだ。私は76年の戸田のノーヒッターをありありと覚えているが、実に情けなかった。
満州が実質的な日本の植民地だった時期に、大連で2度記録されているのも歴史を感じさせる。
奪三振、与四死球別のマトリックス
1リーグ時代と以後とに分けた。
戦前の投手の制球力は、今と比べると大きく見劣りするが、それを物語るように、1リーグ時代は8個以上も四球を出したノーヒッターが3度ある。唯一の二けた与四死球は1939年11月3日対セネターズ戦で巨人中尾輝三が記録した10(6奪三振)、よくぞ失点しなかったものだ。
近年は、変化球の多様化で奪三振数が増えているが、二けた奪三振でのノーヒッターは14回。三振を狙う投球は球数が増えるし、安打される可能性が高くなる。
最多の16奪三振は1968年9月14日、広島外木場義郎が大洋戦で記録した16。与四死球もない完全試合だった。これが一番すごいノーヒッターかもしれない。
外木場はノーヒッターをNPBで唯一3回記録しているが、その奪三振-与四死球は3-1、16-0、2-1、投球スタイルは大きく変わったのだ。
四球を出さないノーヒッターは完全試合だと思いがちだが、失策が絡むと完全にはならない。
1948年9月6日阪神戦の大陽真田重蔵と、2006年9月16日阪神戦の中日山本昌は、共に失策があったため完全試合を逃した。5奪三振、9月の試合、対戦相手は阪神と、妙に共通点が多い。
楽天イーグルスは2度ノーヒッターを喫しているが、まだ一度も達成していない。田中将大には、置き土産に今年、ぜひ記録してもらいたいものだ。
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