2リーグ分立後はセパ両リーグのRCベスト10を20年ごとに並行して見ていく。
えんじ色がセリーグ、青がパリーグ。

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2リーグ分立の年は前年まで阪神の中軸を打っていた両雄がセパのRC王になった。この数字を追いかけると、打撃タイトルには縁がなかった選手が上位にいることがある。51年2位の蔭山和夫などがそうだ。この頃のパリーグは、南海が最強チームだったが傑出した選手はいないものの、手数の多い選手がそろっていたのだ。

一般にRCは100を超えると一流の数字だと言われる。試合数によってその数字は上下するが、同時に投手力との力関係も大きく左右する。飛ぶボールの1950年セは10人もRC100超えの選手がいたが、これが翌年1人に。野球の質が大きく変わったことを意味している。

意外なことに50年代前半までは巨人の選手はそれほど傑出していない。この頃までは投打のバランスの良いチームだったのだ。主軸の川上哲治も中距離打者だった。
それが58年の長嶋茂雄の登場以来、一変する。長嶋はデビューから4年連続でRC王、61年には王貞治がRC王となり、以後はONがほぼ1,2位を独占するのだ。V9の原動力はまさにこれだった。

パリーグでは中西、山内一弘、遅れて野村克也が現れ、上位争いを展開する。大毎の葛城、榎本のレベルも高かった。60年代に入ると張本勲が伸びてくる。注目すべきは64年、広瀬叔功がRC王に。この年は首位打者(.366)72盗塁を記録。RCはオフェンスの総合的な評価だけに、こういう選手がトップに来ることもあるのだ。

65年のドラフト制施行から、多くのチームに有望選手が割り振られ、RCランクも群雄割拠の様相を呈するようになる。

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