7月末は支配下選手登録の期限である。7/31までに登録できないと、原則としてその年はプレーすることはできない。その期限を前に、斎藤和巳が引退した。
斎藤が最後に投げたのは、2007年10月8日。クライマックス・シリーズの第1ステージロッテ戦の初戦だ。先発した斎藤は4回を投げて6安打され自責点5で敗戦投手になっている。
以後、ファームでも1軍でも投げないままに6年が経過した。

斎藤のキャリアSTATS

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同ファーム記録

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もともと故障の多い投手であり、規定投球回数に達したのは4シーズンだけ。シーズンを通してローテを維持できたのは2年だけ、しかしその2年ともに沢村賞をとっている。

セットポジションから192cmの長身をぐっと沈めて投げ下ろす4シームの威力、そしてフォーク、カーブのキレは凄まじいものだった。ダルビッシュのように球種は豊富ではなく、配球は速球主体にシンプルだったが、好調な時は誰にも打たれない強さがあった。

元気な時の圧倒的なパフォーマンスが、斎藤本人や周囲に期待を抱かせ、ここまでリハビリを続けさせたのだろう。右肩手術は3回に及んだという。



この6年で斎藤は20代から30代半ばになった。斎藤が全く登板しないのに球団から年俸をもらい続けていたことには、一部選手からも不満の声が上がっていた。

2008年から2010年までは合わせて5.7億円もの年俸を手にしていた。2011年に選手登録を外れ、コーチ契約となってからは1500万円程度だったとされるが、それにしても球団は6年間、全くチームに貢献しない選手に平均1億以上の報酬を支払い続けたのだ。

功労者でもあり、球団、本人の思惑も交錯したのだろうが、もう少し早くセカンドキャリアを考えるべきだったと思う。

なぜそんなに故障が多かったのか、手術をしてもなぜ回復できなかったのか、どうすべきだったのか。斎藤和巳は落ち着いたら、そういうことを率直に語ってほしいと思う。

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