ポスターにでかでかと深志城(松本城)が映っていたから、てっきりあのあたりだと思って松本に宿をとったのだが、長野県立歴史館は、そこから電車で一時間半もかかるのだ。相変わらず馬鹿である。
一度JR篠ノ井まで出て、しなの鉄道で折り返して屋代駅へ。しかしこの最寄りの駅から歩いて20分以上。
がちゃがちゃ建物が立て込んだ関西で生まれ育った人間と、長野県人は、距離のスケールが違うわいと思った。
さすが、長野は避暑地だけあって涼しい。歩くのが苦にならない。

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チーズケーキを切って、お皿に取りわける途中、という感じの形をした歴史館に入る。
平日だからか、私一人だ。
500円を払って2階へ。
「くーもーはーわーき」と例の歌がかかっている。
この博物館は、迫力ある展示で有名なのだが『信州の野球史』の展示は小さな部屋。

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最初のコーナーは「日本野球事始め」、別に長野県のことではなく一般論としての伝来。このあたり割と勉強しているので目新しいことは無い。
「野球殿堂博物館所蔵」と書いた資料が多数。前日に野球殿堂博物館で、「長野の野球展行くんですよ」といったら学芸員氏が「あ、これですね」とポスターを示してくれたが、この展示に参画していたのだろう。
吉澤野球博物館の所蔵品もあった。

面白かったのは、当時の野球用具の値段。「信濃毎日新聞」に掲載された数字を現在の価格に換算しているのだが、一番高いボールで1448円、ミットが4344円、グローブが2172円など、これはちと安すぎないか。
当時のローリングスのグローブなど、今のグローブよりはるかに小さく、まさに「革製の手袋」だ。だからこんなに安いのか。

もうひとつ面白かったのは、例の「野球害毒論」。我々はどうしても東京や大阪の大新聞のことばかり追いかけるが、「信濃毎日新聞」に大正15年には諏訪中学で野球が全廃されたという記事。
「交友会費の大部分を野球の対外試合に使われるのは面白からぬ」と校長が怒っている。
「信濃毎日新聞」は、長野県一の権力者と言われる小坂家が起こした新聞だが、大新聞に劣らない紙面を作っているのだ。



ここから中等学校野球大会の話に入って、名門長野師範、長野中学、そして松本商業と強豪校が次々と現れ、甲子園で活躍する。
私は長野県野球特集をしたことがあるので、このあたりもだいたい知っている。

ただ、昭和初年、諏訪蚕糸(現岡谷工業高)という実業学校が非常に強かったことはよく知らなかったので興味深かった。
この展示を見た後、常設展を見て回った。聞きしに勝るすごい迫力だったが、その中に諏訪地方の蚕糸工業の様子が紹介されていた。蚕糸業は一大産業だったのだ。この経済力に裏付けられて各地から優秀な選手を集めていたようだ。

昭和4年に台湾に遠征した折のフィルムが流れていた。船に乗って台湾に渡る様から試合までが、不鮮明な動画で残っているのだ。
選手たちの動きが美しかった。あんパン型のミットでボールを受ける動作の柔らかさに見とれてしまった。
諏訪の選手たちは、台湾遠征に、生糸でできたユニフォームを着用して出かけた。その復刻も展示されていたが、真っ白でなめらかな生糸のユニフォームは、全盛を極めた諏訪の蚕糸業の象徴のように思えた。

長野県出身の野球殿堂入りした人物、櫻井弥一郎、宮原清、市岡忠男、中島治康、島岡吉郎の展示があって、さあプロ野球か、と思ったがこれでおしまい。

プロ野球関係の資料は全くなかったのだ。
ここ屋代は今を時めく楽天の聖澤諒の出身地のはずだが、聖澤はおろか、中島以外のプロ選手の展示は一切ない。

未だに「職業野球はまかりならん!」と言っているようだ。

「さすが長野は教育県だ」と妙に納得して、また20分かけて青々と稲穂が風になびく田んぼの中を通って駅に帰った。自転車に乗った小学生に「こんにちは」と挨拶された。悪くない一日ではあった。

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