日米の球数に関する考え方の段差を実感した投手がいる。松坂大輔だ。彼の成功と挫折は、NPBとMLBの力量差、そして投球数の考え方の断層のはざまに生まれた。
松坂のキャリアSTATS NPは投球数

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横浜高校を出た翌年、松坂は西武で2980球、翌年も2949球を投げた。
ダルビッシュの1年目は2476球、2年目は2969球、田中将大は3112球、2814球、前田健太は1745球、2972球。超高校級と言われる投手は1年目からこれくらい投げるのだ。

しかし3年目の2001年、松坂は4072球を投げる。この時期より以前の投球数の記録はないが、4000球を投げたのは1997年の黒木知宏、1998年のミンチー以来と思われる。
この年の松坂は、中4日で投げている。この年15敗を喫しながら沢村賞を獲得している。
しかし、登板過多の影響は甚大で、翌年には右ひじを痛めて戦線離脱する。



以後の松坂は3000球を投げると翌年は2000球代に落ちる繰り返しだった。ただ、彼の投球が年ごとに洗練されていったのは間違いない。
1回あたりの投球数(NP/IP)が年ごとに減少し、2006年には14.87にまで減っているのだ。この年の1試合当たり110.8球は多いことは多いが、2001年往時とは異なり、長い回を投げる準備は整っていたと考えられた。

しかしMLBでは、松坂が磨いてきた技術は通用しなかった。NP/IPは一挙に2も上昇し、3478球も投げることになった。
MLBでの松坂は多くの走者を出しては自滅している印象が強かったが、NPBで完成に近づいたはずの制球力を主体とする投球術は、MLBでは進化することが無かった。NP/IPは年々悪化し。ついには右ひじを故障し、トミー・ジョン手術を受けるに至った。

日米を隔てる懸崖にはいろいろなものがあったはずだ。マウンドの硬さ、滑りすぎるボール、そして何より調整法。
松坂はキャンプから投げ込んで肩を作るタイプである。しかしMLBではキャンプから投球数は厳格に規制される。
また、ローテの谷間でも松坂は投げ込みをすることがあったが、これも固く禁じられた。
さらに、イニング間のキャッチボールも禁止された。

いわば日本流の調整法をすべて否定される中、松坂はそれに代わる調整法を確立することができないままに、7年間もがき苦しんでいたのだろう。

NPBでは通用する「肩の作り方」も、過酷なMLBでは通用しない。NPBからMLBに挑戦する投手たちは、この厳然たる事実を前に、対応を迫られるのだ。

個々の選手のポテンシャルの問題と、二つのリーグの先発投手の起用スタイルの問題、さらには日米の野球文化の違いが、ここに露出しているように思う。

松坂の苦境を教訓として、黒田博樹、ダルビッシュ有、岩隈久志は、MLBの流儀に合わせて投球術、そして肉体を改造したのではないかと思える。

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