昨日の歴史的な試合は、地上波は愚か、BS、CSでもなかなか見つけられなかった。BS-TBS2というチャンネルでやっていた。スポーツニュースでは、大きく取り上げていたが、なぜ臨時中継をしないのだろうか。
キー局アナのから騒ぎではなく、島村俊治アナの実況で観戦できたのは良かったが。
この記録は、正真正銘の大記録である。
松田清、稲尾和久と言う先人の記録を抜いたと言うだけでなく、内容的にも2者を凌駕している。その上に、統一球が微調整され「打高投低」に転じた中での記録であることも、重要だ。

先人の記録を見て行こう。クラシックSTATS鑑賞でおなじみ、たばともさんが、図書館に通って新聞の情報を集計して作った労作だ。

松田清(1930-2007)は、東京都出身の左腕投手。中野高校から巨人に入って3年目。
自責点が分からないので失点になっている。

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完投は12、完封4。
前年は3試合しか登板しなかった。藤本英雄、別所毅彦と言う大エースが居並ぶ中、松田は3番手の扱いだったが、4勝3敗だった5/23以降出れば勝ちの快進撃を続け、19連勝でシーズンを終えた。そして翌年になってさらに1勝を加えた。
しかし子細に見ると、内容的にはイマイチの部分もある。6/9の大洋戦に先発して2回で4失点、6/24の阪神戦では3回で3失点、8/18、8/26の名古屋戦はいずれも先発で合わせて8失点。
強力な巨人打線の援護と幸運で白星を重ねた印象は否めない。
松田は1953年以降1勝しかできず、通算39勝14敗でキャリアを終えている。

稲尾和久(1937-2007)は、昭和中期を代表する大投手。20連勝は2年目のシーズンに記録された。

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完投は9、完封は3。
当時の主戦級投手は、先発と救援を掛け持ちするのが普通だった。7/18の大映戦で連勝をスタートすると、14先発に加え18救援を重ねる中で20連勝を記録した。
今では考えられないが、9/3の毎日戦では先発をして4.2回で降板し、ミットをもって一塁を守り、再び登板してセーブを挙げている。いわゆる「三原マジック」の一例だろう。
今の考えでいえば、稲尾は20勝4セーブ1ホールド。
当時は、こういう起用法が普通だったのだ。 
1957年の投手起用についてはこれを参照されたし ➔1957年パリーグの救援投手陣




そして田中将大。

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完投は11、完封は5。出だしの2試合は延長10回を零封している。
田中の記録は非常にシンプル。27試合に先発し、そのすべてで6回以上投げて3失点以下に抑えている。
分業が確定した時代とはいえ、抜群の安定感である。

松田清、稲尾和久が世を去った2007年にデビューした投手が記録を破った。この奇縁も含めて、田中将大の記録は、伝説になるだろう。
次は稲尾の「単一シーズン20連勝」が目標になるのだろう。あと「3」で並ぶ。

チーム別勝敗内訳は稿を分けます。

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クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1959年セリーグ救援投手陣
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