今日は準々決勝と準決勝の間に今年から設けられた「休養日」だ。選手の体力を考えてはじめて導入された。これまで休養日なしで、よく事故も起こさずこれたものだ。
史上空前の暑さと言われる今夏、ついに甲子園にも熱中症の疑いのある球児が出た。常総学園のエース飯田は、登板中に右足太ももが攣り、医師の診断を受けたが、続いて左足の太ももも攣って、熱中症の疑いありと診断され、降板を余儀なくされた。
8回無失点と好投していただけに、残念なことではあったが、下手をすれば命にかかわることだった。

このタイミングで休養日を設けたのは適切だが、関西地方は最高気温37度という信じられない高温が続いている。準決勝、決勝でも熱中症で倒れる選手が出ないとは限らない。
リスクは依然、非常に高い。

「選手は鍛えているから、夏の暑さには負けない」というかもしれないが、酷暑は鍛えて克服できるものではない。
体内の水分が奪われ、体温が上昇すればだれでも倒れる可能性はある。勝負に夢中になっているうちに、体調の異変に気が付かないことも十分に考えられる。

好勝負が続いているのは良いことだし、私もずっとテレビをつけっぱなしで観戦してはいるが、それでも手放しで甲子園を賛美することはできない。
あまりにも「甲子園」が大きな存在になりすぎているからだ。

全国の有力校は、「甲子園に行くためなら何だってする」と考えている。
指導者も「甲子園に行けば勝ち」と思っている。
選手も「甲子園のためにすべてをささげる」。
親も「息子を甲子園に行かせるためならどんなことでもする」。
学校も、指導者も、生徒も、親も、無理に無理を重ねて甲子園に出場する。

それくらい頑張ってきたのだから、外気温が37度だろうと40度だろうと、野球をするのは当たり前だ。

高校野球には良いところもたくさんあるのだろうが、私はそれを素直に受け取ることができない。
個別の試合には拍手を送るが、それとは異なる次元で、「野球さえできればよいのか」と問いかけたい気持ちが常に付きまとっている。

球数制限の問題も、中学、高校球児の周辺に群がるブローカーの問題も、野球部の暴力沙汰の問題も、せんじ詰めれば「甲子園に行けば勝ち」という考え方が根底にあって起こっているのではないか。

また、そういう生徒が必死の形相で野球をするのを「青春」とか「美しい」とかいうファンも多い。
おそらく、エアコンの効いたドーム球場で、ナイトゲームで高校野球をするとなったら、そういうファンからはブーイングが起こるのだろう。「高校野球の冒涜だ」「伝統を汚す」などという声も出るだろう。
まるで、戦前の軍隊を見るような空気がいまだに漂っているように思う。

死人が出るまで、夏の高校野球は炎天下で行われるのだろう。いつ犠牲者が出てもおかしくないと思う。

地球温暖化は今後も進行するだろう。今後も、数年おきに「経験したことのない暑さ」が日本を蓋うことだろう。

朝日新聞は、この大会前に「甲子園至上主義」に疑問を呈するような記事を掲載した。
加熱しすぎた高校野球に「水をかけ」て、冷静に見つめなおすことができるのは、主催者たる朝日新聞だと思う。

「人生のピークを甲子園に持ってくる」ようなやり方を緩和することが必要だと思う。

高校野球が本当に「教育の一環」であって、野球の健全な発展に寄与するものだとすれば、すぐにでも「夏の甲子園」の改革に着手すべきだと思う。

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