すいません、佐野眞一の『あんぽん』にはまっているので、九州ぽく見出しをつけてみました。

中日の新外国人ホルヘ・ソーサは確か投手のはずだが、フリー打撃で140m弾を打っていた。腕はともかく口は超一流だから「俺が投げるときは4番にしてくれ」くらいは言いそうだ。

アメリカでは強打の投手は珍しくない。そして昔はNPBにも強打の投手はたくさんいた。

それを見ていきたい。出場試合数の80%以上が登板数という条件をつけて、50打席以上の投手のシーズン記録。投手成績も併記する。1652件あった。打率ベスト50。

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打率トップは中日、横浜、日本ハムで采配を振るった名将近藤貞雄、プロ入りのときは一塁手として中軸を打っていたのだから打てて当然ではあるが、それにしてもすごい。この年近藤は投手として10勝4敗ERA3.60。打者としてフルシーズン打たせた方が良かったのではないか。

打席数の多さから考えれば、群を抜いているのが1950年の真田重蔵。打者として54安打36打点を打ち、投手として39勝。松竹は真田の投打にわたる活躍で優勝しているが、MVPは小鶴誠に渡り、ひと悶着が起きている。
日本人初のMLB選手となった村上雅則。私は南海でおなかを突き出して中継ぎで投げていた姿しか覚えていないが、70、71年と3割を打っている。

スタルヒン、石田光彦をはじめ1リーグ時代の選手が多い。この時期はまだ投手で4番という試合が少数ながら存在した。

21世紀に入ってから唯一投手で3割を打ったのは2004年のクリス・ブロック。投手としても8勝8敗とまずまずの成績だった。代打にも起用されたりしたが、右肩を痛め1年で退団している。

最近の投手として桑田真澄の名が2度出てくる。この選手は抜群の野球センスの持ち主として知られた。故障で投げられなくなったときに野手転向の話も出たが、もし転向していてもそれなりの成績を残したのではないか。
投手としてのシーズン本塁打の持ち主は、この表には出てこない。

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投手としてのシーズン最多本塁打は1950年の7本、続いて49年の服部受弘らの6本。49年50年はご承知の通りラビットボールだった。猫も杓子もさく越えを目指した時代だったのだ。

なお、50年の藤本、49年の服部は出場試合数が登板数の80%以下、つまり20%以上代打や野手での出場があったので打率の表には含まれていない。また金田の62年の6本塁打の中には代打で打ったものが1本含まれている。

当然の話だが、DH制を導入した75年以降のパリーグの投手は出てこない。昭和の投手は見くびっていると快打を飛ばす猛者がそろっていたということだ。




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