何度も言うが、私の世代にとってMLB元年ともいうべき1977年当時、ゲーリー・カーターは売り出し中の若手捕手だった。

報知新聞 蛭間豊章記者の記事
シンシナティ・レッズ=CINのジョニー・ベンチ、ボストン・レッドソックス=BOSのカールトン・フィスク、ニューヨーク・ヤンキース=NYYのサーマン・マンソンなど、チームの柱石となる偉大な捕手が居並ぶ中に、カーターは大股で加わろうとしていた。

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72年のドラフト3順目。同期にリック・マニング、チェット・レモン、ひげのデニス・エカーズリー。MLBに定着した当初は右翼手とかけもちだったが、3年目に正捕手のバリ・フートからポジションを奪った。
欠点のない選手という気がした。盗塁阻止率は50%前後をキープ。投手との相性も良く、打者としても中軸を任せられる安定感があった。

ただ、モントリオール・エキスポスMTLというチームは、なかなか放送がなくて、動く姿を見ることはあまりなかった。捕手らしいずんぐりとした巨躯が印象に残っている。足は遅かったように思う。

85年にニューヨーク・メッツ=NYMに移籍。ここでも期待通りの活躍を見せる。ダリル・ストロベリー、ゲーリー・カーター、ジョージ・フォスターとならぶ打線は迫力があった。捕手という激務にありながら、ほとんど故障をしなかった。

89年にレギュラーの座を奪われてからは毎年チームを変わり、92年、古巣のMTLでキャリアを終えた。
球を受けた投手はスティーブ・ロジャース、ドワイト・グッデン、ジョン・バーケット、デニス・マルチネスなど。

2003年、殿堂入り資格を得た翌年に殿堂入り。疑問の余地のない名選手だったのだ。

まだ57歳だったとは思わなかった。指導者として実績を積んでいただけに、残念だ。

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