2009119日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

 

イチローは、毎年帰国すると真っ先に京都のニンテンドー山内会長のもとを訪れるという。山内さんは、京都の商工会議所の人々から「イチローにばっかり肩入れせんと、地元にも貢献しなはれ」といわれて嵐山に「百人一首博物館」を作ったといわれるが、要するにイチローのパトロンであり、シアトルの筆頭オーナーなのだ。

山内さんの後ろ盾があるから、イチローはシアトルでは怖いものなしだ、と言われている。昨シーズン、チームにおこった不協和音やイチローバッシングと、このイチローの立場がどんな関係があるのかはわからない。ただ、シアトルというチームとの関係が必ずしも幸福そのものとはいえないように思える。

イチローが、スターダムに躍り上った1994年から今年まで、イチローの成績と所属チームの成績を並べてみる。
イチローの成績と所属チームの成績
イチローの成績と所属チームの成績
イチロー登場前年のオリックスは3位、シアトルは2位だったから、NPB、MLBどちらでもイチローは登場した当初、戦力として貢献した上に、チームに活力を与えたといえよう。しかし、その後、イチローは成績を落とすことなく実績を重ねていくのだが、チームの方は徐々に下り坂となっていくのだ。

イチローとチームの成績がかい離していった原因は外部からは窺い知れないが、少なくともイチローが多年にわたってチームを奮い立たせ、牽引車として引っ張ったとは言いにくい。そして、日本でも米国でも、イチローは数年すると個人の成績にこだわりはじめるのである。

2006年、イチローはWBCに積極的に参加し、見事に王JAPANを世界一に導いたが、この時点でイチローは、シアトルにモチベーションを見いだせなくなっていたのではないか。オリックス末期と同じ心境だったのではないだろうか。

イチローが所属チームと幸せな関係を築くのは、監督がイチローよりも明らかに格上なときだけだ。初期のオリックスの仰木、シアトルのルー・ピネラ、WBCの王貞治。イチロー自身が監督に心服できないと感じたとき、チームとイチローの間に溝が生ずるのではないか。その点でいえば、原ジャパンとイチローの関係はあまり芳しくないかもしれない。

イチローは一昨年、チームと7年契約を結んだ。このままいけばイチローはシアトルで選手生活を終えることになる。でも、それはつらい選手晩年になるのではないか。

神戸、シアトル、ともに国の中央から遠い港町で、イチローは「お山の大将」になっていった。いろいろなしがらみはあるとは思うが、私は彼に、ニューヨークを目指してほしいと思う。ヤンキースというスーパーチームで、年俸でも実績でも上の選手に交じって、もっと異質の苦労をしてほしい。そうでないと、イチローは「孤独な英雄」、―ちょうどタイ・カッブのような位置で終わる気がするのだ。

 



■後日談:2009年は、ケン・グリフィJrが加入したこと、レギュラーが大幅に変わったことで大きく状況が変化した。