2009210日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】 

今のMLB中継は圧倒的にア・リーグが多い。斎藤隆の活躍は毎日、BS1のMLBのレビューで確認するしかない。1分足らずの映像だが、それでも斎藤の気迫は伝わってくる。どんな打者であろうとも、真正面からぶつかる気合いのマウンドである。日本では最高153km/hだった球速が159 km/hにまで上がったという。またスライダーのキレも増したという。36歳を過ぎての話である。

斎藤は、なぜ、こんなにMLBへ来てから伸びたのか。ベテランなのに心身ともに充実しているのか。メンタルな面は斎藤本人に聞くしかないのだが、ことSTATSで見る限り、こんなストーリーを描くことが可能である。

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斎藤隆は、佐々木主浩の2年後輩で、東北高校、東北福祉大、そして横浜(大洋)と同じキャリアを重ねてきた。佐々木は高校時代から絶対的なエース、大学時代には故障がちではあったが、ドラフトでは野茂英雄に次ぐ評価だった。斎藤は、中学時代から佐々木を兄貴分として仰ぎ見て育った。二人の付き合いは。プロ入りの時点ですでに9年に及んでいる。

斎藤は先発投手としてキャリアを重ねるが、負けの多い二流のスターターだった。97年にはいわゆる「ねずみ」(遊離軟骨)除去の手術をして翌年カムバック。この年は佐々木が記録的な活躍をするが、斎藤も先発中継ぎと奮闘し、優勝に貢献した。

しかし2000年に佐々木がSEAに移籍すると、その翌年から斎藤は佐々木の穴を埋める形でリリーフに転向、しかし2年で再び先発に転向、さらに佐々木が復帰した2004年から2年は、衰えの見える佐々木をフォローして先発、リリーフ両刀遣いとなった。

横浜と言う下位チームの煮え切らない采配のせいもあろうが、斎藤は常に便利使いをされる存在だった。特に佐々木との関係では、その不在を埋めたり、力の衰えを補ったりする影の存在だった。そんな形で14年間のプロ生活を終えて、斎藤には、不完全燃焼の悔いが残ったのではないか。また、肉体的にも徹底的に鍛え上げたという充実感がなかったのではないか。

NPBでもMLBでも、絶対的なクローザーとして君臨した佐々木の存在は、斎藤にはまぶしかったのではないか。

その佐々木が現役生活にピリオドを打った翌年に、斎藤がMLBに挑戦したのは無関係ではないと思う。

マウンドに上がることを本当に喜んでいるような彼の投球は、長い不完全燃焼のカタストロフィではないかと思う。斎藤のMLB3年間のWHIPは、佐々木のそれを上回っている。

 ■後日談:12月1日現在、斎藤はマイナーのFA扱いになっている。しかし利用価値はあるとされているようで、何球団かが注目しているうえに、BOSと再契約する可能性もある。