【2009年3月12日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】
ドミニカはいったいどうなってしまったのだろう。オランダとのリターンマッチの延長11回、オランダ、デカスターの強いゴロはファーストのアイバーのミットに収まったように見えたが、まるで“素人さん”のように弾いてしまい、その瞬間にドミニカは「油断」と「迂闊」の団体さんであることを、世界中に知らしめた。
ベンチはさぞ呆然としていただろうが、その中にあって一人憮然としている男がいたはずだ。ペドロ・マルチネス。契約更改年にだけしゃかりきで働くと陰口をたたかれながらも、数字を残してきたこの男が、2008年はNYMで5勝6敗ERA5.61に終わり、折からの経済危機もあって、FAのまま年を越してしまったのだ。彼はおそらく1次ラウンドなどは軽く勝ち上がって、二次、そしてファイナルラウンドで居並ぶ強打者をばったばった倒して、どこかの球団のオファーをもらい、開幕に間に合わせるつもりだったのだろう。
そういう具体的な目的があったから、オランダ相手に委縮するはずなどなかった。
3/7 オランダ第一戦
5回から登板
9番ステイシア 遊ゴロ 1死
1番キングサーレ バント安打
2番スクープ 3ゴロ併殺 3死
6回
3番サイモン 3小飛 1死
4番ハルマン 三振 2死
5番デカスター 三振 3死
7回
6番アドリアーナ 中飛 1死
7番エンゲルハルト 三振 2死
8番ジャンセン 三振 3死
3/10 オランダ再戦
5回から登板
5番エンゲルハルト 中直 1死
6番アドリアーナ 中飛 2死
7番バンクルースター三振 3死
6回
8番ジャンセン 3小飛 1死
9番デュールスマ 捕ゴロ 2死
1番キングサーレ 死球
2番スクープ 三振 3死
7回
3番サイモン 左飛 1死
4番デカスター 2ゴロ 2死
5番エンゲルハルト 3小飛 3死
まるで、料理屋の親方が賄いメシでも作るような無造作さで、オランダの打者をなで斬りにしていった。(オランダでトリックスターのような役割をしたキングサーレを2回とも取り逃がしているのは興味深いが)。
飯の種を探すために野球をしているペドロにとって、オランダのような半端な連中は眼中になかった。「顔」で抑えていた。
オルティーズをはじめとする他の連中が次々と、オランダに打ち取られ、ドミニカのWBCがあっけなく終わったとき、ペドロは叫んだのではないか?
「俺の商売をどうしてくれる!」
一方で、2006年、打率.281、11本、61打点をあげながら、NYYから契約を解除され、そのまま引退状態になったバーニーウィリアムスも、プエルトリコ代表として、再起を目指していた。足を故障したとの情報もあったが、練習試合から打席に立ち、元気さをアピールしていた。
しかし、WBC一次リーグが始まると、彼はもはや現役の選手ではないことを露呈した。オランダ戦の3回、ベルトランのシングルで二塁から長駆ホームインを狙ったバーニーは、キングサーレの返球に易々とアウトになった。まるでスローモーションのような走り。1番打者としてはあまりにも悲しかった。次の打席でポップフライを上げると、その試合はお役御免になった。そして、再びのオランダ戦では、イバン・ロドリゲスの代打として登場するも、安打は出なかった。
3試合で4打数ヒットなし。チームはこの41歳の大選手に気を使っているが、心なしか体は緩んでいるし、目に覇気はない。
バーニーもWBCを踏み台にして復帰を図ったのだろう。しかし、現実の厳しさを身をもって感じたのは彼自身ではないだろうか。
彼にはアメリカラウンドがある。華やかな舞台で、もう一度「51番」の輝きをとりもどしてほしいと切に願う。
■後日談:バーニーは結局WBCでの不甲斐なさであきらめがついたのではないか。ペドロはこの活躍で再び職を得て、ワールドシリーズまで行く。松井秀喜の大活躍の序章は、WBCでのペドロの孤軍奮闘だったと言えなくもない。
ドミニカはいったいどうなってしまったのだろう。オランダとのリターンマッチの延長11回、オランダ、デカスターの強いゴロはファーストのアイバーのミットに収まったように見えたが、まるで“素人さん”のように弾いてしまい、その瞬間にドミニカは「油断」と「迂闊」の団体さんであることを、世界中に知らしめた。
ベンチはさぞ呆然としていただろうが、その中にあって一人憮然としている男がいたはずだ。ペドロ・マルチネス。契約更改年にだけしゃかりきで働くと陰口をたたかれながらも、数字を残してきたこの男が、2008年はNYMで5勝6敗ERA5.61に終わり、折からの経済危機もあって、FAのまま年を越してしまったのだ。彼はおそらく1次ラウンドなどは軽く勝ち上がって、二次、そしてファイナルラウンドで居並ぶ強打者をばったばった倒して、どこかの球団のオファーをもらい、開幕に間に合わせるつもりだったのだろう。
そういう具体的な目的があったから、オランダ相手に委縮するはずなどなかった。
3/7 オランダ第一戦
5回から登板
9番ステイシア 遊ゴロ 1死
1番キングサーレ バント安打
2番スクープ 3ゴロ併殺 3死
6回
3番サイモン 3小飛 1死
4番ハルマン 三振 2死
5番デカスター 三振 3死
7回
6番アドリアーナ 中飛 1死
7番エンゲルハルト 三振 2死
8番ジャンセン 三振 3死
3/10 オランダ再戦
5回から登板
5番エンゲルハルト 中直 1死
6番アドリアーナ 中飛 2死
7番バンクルースター三振 3死
6回
8番ジャンセン 3小飛 1死
9番デュールスマ 捕ゴロ 2死
1番キングサーレ 死球
2番スクープ 三振 3死
7回
3番サイモン 左飛 1死
4番デカスター 2ゴロ 2死
5番エンゲルハルト 3小飛 3死
まるで、料理屋の親方が賄いメシでも作るような無造作さで、オランダの打者をなで斬りにしていった。(オランダでトリックスターのような役割をしたキングサーレを2回とも取り逃がしているのは興味深いが)。
飯の種を探すために野球をしているペドロにとって、オランダのような半端な連中は眼中になかった。「顔」で抑えていた。
オルティーズをはじめとする他の連中が次々と、オランダに打ち取られ、ドミニカのWBCがあっけなく終わったとき、ペドロは叫んだのではないか?
「俺の商売をどうしてくれる!」
一方で、2006年、打率.281、11本、61打点をあげながら、NYYから契約を解除され、そのまま引退状態になったバーニーウィリアムスも、プエルトリコ代表として、再起を目指していた。足を故障したとの情報もあったが、練習試合から打席に立ち、元気さをアピールしていた。
しかし、WBC一次リーグが始まると、彼はもはや現役の選手ではないことを露呈した。オランダ戦の3回、ベルトランのシングルで二塁から長駆ホームインを狙ったバーニーは、キングサーレの返球に易々とアウトになった。まるでスローモーションのような走り。1番打者としてはあまりにも悲しかった。次の打席でポップフライを上げると、その試合はお役御免になった。そして、再びのオランダ戦では、イバン・ロドリゲスの代打として登場するも、安打は出なかった。
3試合で4打数ヒットなし。チームはこの41歳の大選手に気を使っているが、心なしか体は緩んでいるし、目に覇気はない。
バーニーもWBCを踏み台にして復帰を図ったのだろう。しかし、現実の厳しさを身をもって感じたのは彼自身ではないだろうか。
彼にはアメリカラウンドがある。華やかな舞台で、もう一度「51番」の輝きをとりもどしてほしいと切に願う。
■後日談:バーニーは結局WBCでの不甲斐なさであきらめがついたのではないか。ペドロはこの活躍で再び職を得て、ワールドシリーズまで行く。松井秀喜の大活躍の序章は、WBCでのペドロの孤軍奮闘だったと言えなくもない。