2009320日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

南海ホークスファンなら、大阪球場のレフトスタンドに「あぶさん」とだけ書かれた看板があったことを記憶しておられることだろう。あぶさんは、南海ホークスファンにとって、現実と薄い皮一枚で隣り合った近しい間柄だった。

あぶさんは、門田博光を「カド」と呼んでいた。あぶさんの方が1年先輩だったからだ。あぶさんの歌がレコーディングされたことがあった。

 

俺が、出てきたふるさとは、雪がちらつく頃だった

浪速の空に、夕陽が落ちて、物干し竿に 吹く酒しぶき

 

結構いい歌詞だと思うが、歌っていたのは江本孟紀、歌中のセリフは野村克也だった。

あぶさんは、空前の大豊作と言われた1968(昭和43)年ドラフト組と同期。田淵、山本浩二、星野、同僚のチャイこと藤原、福本、山田、加藤秀、有藤、高橋直、服部らとはため口である。

あぶさんのモデルと言われた永淵洋三は、盛りは短かったが張本と.333で首位打者を分け合った打者。少しだけ記憶に残っているが、小柄で、左打席にそろっと入ってきて、そろっとヒットを打っていた。

最初の設定は、リアルそのもので、あぶさんは一振りにかける代打屋だった。鉄砲肩で守備も一流だったのだが、酒気が抜けないために守備は無理だったのだ。この分野では阪急の高井保弘と双壁だった。

あぶさんは、当時のNPBの風景を写す鏡だった。太平洋クラブライオンズのプレイングマネージャーの江藤慎一は、ピンチになるとセンターからマウンドへ駆けつけた。メジャーで2度本塁打王をとったフランク・ハワードが来日すると、あぶさんとハワードは本塁打の競演をした(実際のハワードは開幕1試合で米に帰ってしまったが)。

昭和50(1975)年、パリーグにDH制が導入され、あぶさんは先発ラインナップに名を連ねるようになった。ここからあぶさんは、球界のわき役ではなく、NPBを代表する打者へとのし上がっていく。ついには、三冠王を三年連続で獲得するのである。

私の気持ちがあぶさんから離れていったのは、この頃からである。あぶさんは、「巨人の星」などの少年野球マンガとは一線を画したリアルな野球マンガであり、読売一辺倒の当時の野球報道にあって、大阪ローカルをはじめとするパリーグの選手にスポットを当てた稀有の作品だった。そしてあぶさんは、現実にいそうなアウトローの香りのする代打稼業だった。水島はグラブやスパイクなどの描き込みも丁寧で、球場の描写などもリアルで、好感がもてた。それが、あぶさんが4番DHに座ると共にタイトル争いにからむようになり、現実のNPBの動きと矛盾するような話が増えてきだした。現実と仮想の薄い膜を、作者が破ってしまったという印象だ。のちには野村の解任劇や、ホークスをめぐる騒動で、作者の水島新司がいろいろ口出しをするようになる。仮想が現実に影響力を与えるのは烏滸の沙汰だと思った。

水島新司のあぶさんへの愛着は年とともに増して行ったようで、あぶさんは野球の聖人のようになってしまう。50歳を超え、60の声を聞き、息子の景虎もプロの十年選手になった。南海ホークスはとっくに大阪の地から消えても、あぶさんは衰えを見せなかった。

マンガの世界には「サザエさん」のように、登場人物が永遠に年をとらないために、だんだん設定が異様になるという現象がある。波平は今年114歳、サザエさんは87歳、カツオは70歳である。(TVでサザエが「タラちゃんが大きくなったら」と言うたびに、全国で「大きくならないって!」という突っ込みが入っていることだろう。)これも問題だが、あぶさんのように現実社会とともに年を取りながら一向に衰えを見せず、超人化していくのも興ざめである。いつかは終わりの時が、と思っていたがようやくその時が来たのである。

願わくば水島新司も出版社も、現実社会、ソフトバンク・ホークスを大げさに巻き込むことなく、マンガの登場人物の分を守って、慎ましやかに身を引いていただきたいものだ。

■後日談:巨人の大道も契約できなさそうだし、南海は遠くなりにけりである。