2009423日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

4/23、松井は久々にホームランを打った。この日は7打数2安打。

こうしてSTATSを見てくると、松井は確かに優れた打者であるし、まだまだ期待することができるとは思う。

しかし、STATSとは別に、松井の打席を目にするたびに感じるのは、物足りなさ、歯がゆさである。

例えば、4/15のTB戦。4/14にスタメンを外れ出番がなかった松井は、7回2死から2試合ぶりに代打で打席に立った。右腕ジョー・ネルソンの投じた6球を、松井は一度もバットを振ることなく見続けて四球を選んだ。見方によれば、これは冷静でクレバーな打者の処し方ともいえよう。しかしジラルディの思いはどうだっただろうか。開幕からの4番打者を外すという苦渋の決断をした彼にしてみれば、この代打起用は松井に与えた再起のチャンスだったはずだ。四球を選ぶのも打者の能力だろうが、ここは思い切ってアピールをしても良かったのではないか。

 

松井秀喜には『不動心(新潮新書)』という著書がある。お年寄りや教育者などに大変評判が良かった本で、確か教科書にも掲載された。この本を読んでみて感じるのは、まるで石門心学か何かを学んだような、松井の謙虚さと勤勉さである。彼には、滅私奉公の思想が染みついている。

著書で、松井は「僕なら4打数ノーヒットでもチームが勝つ方を選びますし、4安打してもチームが負ければ悔しい」と書いている。また、NPB時代にタイトル争いに敗れたことを「残念には思いました。しかし全力を尽くし、自分のスタイルを貫いた結果です。結果を悔いても仕方がありません」とも書いている。このコメントからうかがえるのは、自分を犠牲にしてでもチームに尽くす篤実さと、結果を求めるのではなく自分のスタイルを貫く頑固さである。NPB時代のように、そうした姿勢が結果に結びついているうちは、松井秀喜に歯がゆさを感じることはなかった。しかしMLBに移籍して期待通りの成績があげられない中では、松井の滅私奉公論は空回りしているように見えてしまう。

松井はチームのために貢献することが、結果として自分の成績にもつながると常々言っているが、それとは逆に、自らの成績を追求することが、チームの成績を向上させることも真理なのだ。ことに中心選手には、チームを鼓舞する華々しさと、結果としての数字が求められる。好調のときはともかく、不成績の時はまず積極的に自分の結果を追い求めていかなければ、どんな理屈も通用しないのではないか。

 契約最終年の今年、松井はフルシーズンを勤めあげ、好成績を残したとしても、残留は厳しいだろう。NYYは、故障持ちの35歳に今まで通りの1300万ドルを払うことはないからだ。来期は、移籍と大幅な減俸、単年契約が待っているだろう(今年NYYからOAKへ移籍したジアンビは2100万ドル→400万ドル LAAに移ったアブレイユは1600万ドル→500万ドル ともに単年契約)。読売、NYYと日米の人気チームに在籍し、放出やトレードを経験していない松井にとって、これは大きな試練だ。

移籍先で松井に求められているのは、チームへの細々とした貢献ではなく、派手なアピールである。チームの中心打者としての存在感である。

すでに、契約最終年の今、松井には「自分のために成績を残す」ことが期待されている。

それがNYYのためだけでなく、自分の未来をも切り開くからだ。

松井は今こそ、本塁打を狙うべきだ。相手に威圧感を与え、自己主張をしていくべきだ。日本のファンの大部分は、NYYが優勝しても、そこに松井の姿が小さくしかなければ、嬉しくないと思っているのだ。

■後日談:ワールドシリーズでの松井の大噴火は、日本人を心底喜ばせた。しかし、状況はこの稿を書いた時点から大きく変わってはいない。