【2009年7月10日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

ナショナルリーグのオールスターファン投票1位は予想通りSTLのプホルズだった。日本人ファンには、ナの選手はなじみが薄いのだが、プホルズは間違いなく現役最高の打者であり、さらに言えばイチローに比肩しうる「記録的な」打者である。

プホルズは1980年生まれ。学年は1つ上だが、日本で言うところの「松坂世代」である。ドミニカからカンザスシティに移住したプホルス家の末っ子だったアルバートは高校の野球チームで頭角を現し、メープルウッズ大学に進んだが、この大学はNCAAなどに所属していないマイナーな学校であり、これまで15人のマイナーリーガーを輩出したのみだった。

プホルズは1999年アマチュアドラフトで指名された。この年の主要な指名選手は以下の通りだ。

PUJ01 

ハミルトン、ベケットをはじめ、プホルズの同期は多士済々である。Bロバーツやクロフォード、モルノーなども同期だ。しかし、才能ある若者が上位で指名される中、13巡目402番での指名。これはプホルズが全くの無名だったことを意味する。

しかし、MLB機構に入ったプホルスはたちまち頭角を現す。Aのぺオリァ・チーフスでプホルズは長打率1位、MVPを獲得。そしてマイナー全体のMVPも獲得する。

 PUJ02

シーズン終盤で昇格したAAAでは数字は上がらなかったこともあって、フロントはもう1年AAAで経験を積ませる予定だったようだ。しかし、スプリングキャンプで打ちまくったプホルスを、チームの大スター、マーク・マグァイアが高く評価し、MLBに引き上げるようにラルーサ監督に推薦したという。

2001年のSTLは、マグァイア、一時期MLB最高年俸だったボニーヤ、Eレンテリーヤ、メイブリーなどの大物が並び、さらに当時MLB屈指の若手とされたJDドリューがいた。こうした面々の間を縫って開幕戦のスターティングメンバーに名を連ねたのである。これは、同期では1年目からMLBで投げたバリー・ジトに次ぐ早さ。

マイナーでは主に3Bを守っていたが、MLBでは外野に回ることになった。2001年4/2、COLとの開幕戦でプホルスは6番レフトでMLBにデビューする。48,113人の観衆の前で、プホルスは1安打を放った。同じ日にイチローも1番ライトでMLBの第一戦を迎えている。

 PUJ03

3Bを予定されたボニーヤの故障が長引き、プホルズはポランコをSSに追いやって3Bの守備に就くが、55試合で10個のエラーをしたこともあり、シーズン後半には外野、1Bを守る。4/17には4番に座り、以後、不動の中軸打者となるのである。

■後日談:昔はボブ・ホーナーのようにマイナー知らずの選手もいたが、今は現実的ではない。プホルズは恐らく最短距離でレギュラーを取った選手だ。