【2009年8月14日「MLBをだらだら愛す」掲載過去記事】

『監督』を読んだのは20代の半ばだったと思う。ヤクルトの初優勝を題材とする小説である。

登場人物は、広岡監督はじめ大部分が実在の人物、球団名は違うが時代設定もリアルだった。しかし、物語はスポーツ新聞などで語られる安物の権力闘争ではなく、近藤唯之の人情劇場でもなかった。広岡という孤高の才能を持った人物が、世俗的な様々な圧力をはねのけ、万年最下位球団を優勝に導くという奇跡が、真水のような平明さと香り立つような文章で書かれていた。これは小説そのものだったが、同時に日本人がこれまで出会わなかったスポーツドキュメントの新しい可能性を示していた。

『F2グランプリ』は、25年ほど前の閉鎖的な日本のモータースポーツ界を舞台にした完全なフィクションだが、それはドンである星野一義と、その影響を脱しようとする中島悟の人間関係を想起せずにはいられなかった。

そしてその正系たる『F1 走る魂』『F1 地上の夢』。複雑で専門性を伴う自動車産業、F1の世界をこれほど平易に、鮮やかに描いた本はなかった。特に1987年の中島悟のデビュー年を克明に追った『地上の夢』は、スポーツノンフィクションの金字塔だと思う。この作品は、モータースポーツジャーナリストに強烈な印象を与えた。当時、雨後のタケノコのように出来たF1メディアが、多少とも読ませる文章を掲載していたのは『地上の夢』がメルクマールとなったのだろう。

海老沢泰久は、熱狂的な読売ファンだったが、長嶋監督の去就を巡る騒動などを経て、次第に批判的になっていく。読売が球界全体ではなく、自己の繁栄そして親会社の利得を第一に考えていることが露呈され、海老沢は歯に衣着せぬ辛辣さで批判した。ナベツネという名前は出なかったが、今の読売の体質をはっきりと指摘していた。

海老沢は次第に硬派で重たいスポーツノンフィクションは書かなくなった。その興味は他の世界に向けられた。辻調理師学校の実質的な創業者辻静雄の半生を描いた『美味礼讃』は、掛け値なしの傑作である。井上陽水、自らのゴルフライフなど、海老沢はそれからも佳作を発表し続けたが、それらがいずれも淡彩で、軽い印象しか残さないようになっていったのが気がかりだった。

海老沢は複雑な事実を描くことに手を抜かなかった。平明に、真水のように伝わるまで磨きぬいた。上質の翻訳文学のような気品ある文体が「知ること」の心地よさを感じさせた。平明さが重なることで、透明感のある深い感動が生まれることを教えてくれたのも海老沢だ。

海老沢がイチローや松井、松坂のことをF1のように丁寧に、克明に描いていてくれたら、MLBをめぐるジャーナリズムは、さらに豊穣なものになったと思う。特にイチローは海老沢が食指を動かせるに十分な対象だったと思う。

『美味礼讃』文庫版のあとがきで、丸谷才一は、海老沢があまりにも素晴らしい伝記を書いたために「神様は辻静雄を妬んで、早くに天国に召してしまった」という解説を書いたが、今度は海老沢が召されてしまった。59歳。さらに澄みわたり、円熟味を増すはずの文章は、もう読むことができない。

■後日談:なぜ、もっと社会はこの稀代の作家の死を悼まないのだろう。