「よしむら~!お前もダイエーに買うてもらえー!」罵声を背に受けて、南海電鉄社長、南海ホークスオーナーの吉村さんは、大阪球場のグランドに上りスタンドに頭を下げた。白髪が目に焼きつくようだった。
横には監督の杉浦忠はじめナインが帽子をとって頭を垂れた。無念の思いがにじみ出ていた。
当時、南海電鉄は、私のクライアント筋だったが、ホークスを身売りした吉村社長はどうしても許しておけないという気持ちになった。
この人の実家は和歌山の「日本城」という酒蔵だった。この酒だけは絶対に飲むまいと思った。

隣に背の高いホテルが建ち、その仕事もするようになった私は、最上階のレストランから何度も大阪球場を見降ろした。見るたびにひと固まりの切ない思いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
今は使われなくなったグランドは、やがて住宅展示場となり、長くさらしものにされたが、商業施設が建って、跡かたもなくなった。
ずいぶん時間がたってから、ミナミで吉村さんが一人で歩いているのに遭遇したことがある。
ほとんど本気で、私は吉村さんに歩み寄り「なぜ売った」と詰問しようと思ったが、近付くと、見知らぬはずの私に吉村さんは軽く会釈をした。それは小柄な白髪の老人にすぎなかった。

12月9日、吉村茂夫さんは91歳で逝去。「行ってまいります」と大阪を後にした最後の南海監督杉浦忠も今はなく、野村克也も現役を退いた。
20年以上前に、こんなことがあった、と誰かに言っておきたい気がして、昔話を書いてみた。

こんな新聞が出てきた。南海最後の年である。

20091219ICHIRO-03

 

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