日本人は、プリンス・フィルダーを、あのセシルの息子と言うことで記憶している。阪神で大きいのをスタンドに運んでいたが、自分で折ったバットが手に当たって骨折し、シーズンを全うできなかった。とにかく荒い打者で、日本に来るまではMLBでは大した実績は残していなかったが、MLB復帰後、屈指の強打者になる。まず、父のセシル・フィルダーのSTATSを紹介する。

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日本に来た当時26歳。よくこんなプロスペクトが日本に来たと思う。変化球打ちを日本で覚えて、MLBで開花した。しかし、盛は短くDETからNYYに移籍したからは衰えた。33歳だった。

STATSを見れば、息子は父親よりもはるかにエリートだ。

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ジョーイ・ボトーと同じ2002年のドラフトで1順目(7位)指名。高卒ながら240万ドルのボーナス付き。以後も各段階で長打を記録し、2005年21歳でMLBに昇格、翌年には1Bのポジションをオーバーベイから奪った。2007年に本塁打王、2009年に打点王。ナリーグ屈指の強打者としてプホルズの前に立ちはだかっている。

しかしながら、MILの評価は必ずしも高くない。チームを支えるもう一人の巨砲、ライアン・ブラウンとは2015年まで続く8年4500万ドルの長期契約をしたのに対し、プリンスは2010年まで2年1800万ドルに過ぎない。実績でいえば、プリンスの方が上なのだが、球団はライアン・ブラウンを残し、プリンスを放出する方針のように見える。

恐らくは、プリンスの全盛期は長くないと考えているのではないか。父セシルは190cm110kg。「スモウレスラー」と揶揄されたが、息子は一回り小さい183cmで体重は年々増えて120kgを超した。こうした体型で長期にわたって活躍した選手は少ない。188cm100kg超のジョニー・マイズは本塁打王を4度とったが、活躍したのは9年に過ぎなかった。ボンズは晩年には巨体だったが、若いころはスリムだった。これに加えて、父譲りの短気、わがままと不摂生の兆しも見える。

2010年末、プリンスはマウアーとともにFA市場の主役になるだろう。ここでどんな契約が結ばれるか、注目したい。

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