ランディ・ジョンソン引退。自分で潔く幕引きをしたのは、このクラスの大物としては、2007年限りのクレイグ・ビジオ、2008年限りのマダックスがいるが、バリー・ボンズ、ロジャー・クレメンス、サミー・ソーサ、フランク・トーマスらが煮え切らないエンディングを迎えている中で、余力を残しての引退は爽やかである。

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ランディ・ジョンソンは1982年、ATLから4順目指名されるがUSC(南カリフォルニア大)に進む。1985年2順目でMTLと契約。ボーナスは6万ドルだった。この年のドラフト1順目トップはバリー・ボンズ。1順目にはピート・インカビリアの名前もある。同時期USCには、マーク・マグワィアがいた(学校は違う)。ちなみにランディとマグワイアの誕生日は20日違いである。工藤公康とも同い年だ。

プロ入り3年目でMLB登板を果たすが、コントロール難に苦しみ、SEAにトレードされる。以後もシーズン100四球を出すが、チームが先発で使い続けるうちに徐々に数字は安定する。

ランディ・ジョンソンがリーグ屈指のスターターになったのは30歳の93年からである。奪三振は300を超え、四球は100以下となる。以後、故障した年はあるが体調万全のときは、絶対的なエースとして君臨した。1998年HOUへ、翌年ARIに移籍。ランディの全盛期は36歳のこの年から4年間ではなかったか。大器晩成型の投手だったのだ。

ビッグ・ユニットと言われる208cmの巨体、しかも左、うなる速球と高速スライダー、これでコントロールが良くなったのだから手がつけられない。ある時期のMLBの顔だった。ランディの偉大さは、何度も故障をしながらその都度立ち直ったことにある。自らを冷静に統御できる選手だったのだと思う。

NYYに移籍した2005年くらいからは、球威が衰え「顔」で投げている印象があった。2009年も何試合か中継があったが、往年の威圧感はもはやなかった。

ランディ・ジョンソンの303勝は歴代22位に当たる。

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300勝以上の投手はほぼ殿堂入り当確とされている。引退後、ドーピング等の発覚がないという前提ではあるが、5年後にはクーパーズタウンでランディ・ジョンソンは晴れがましいコメントを述べているのではないか。

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