右ひじ腱の部分断裂によって上原のMLB挑戦は6月28日で終わった。2010年に復帰できなければ、上原はFAとなってしまう。故障が長引けば、このままMLBとは縁がなくなってしまう可能性もある。

上原については、「どうせMLBにいくのなら、もっと早くに行けばよかったのに」という言葉をかけてしまいそうになる。

K-U 

松坂と同年、同じくらいの高評価でNPBに入った上原は、たちまちセリーグを代表する投手になる。1年目の成績は抜群だった。コントロールが良く、球威もありフォークも冴えていた。投手のタイトルを総なめ。翌年以降も浮き沈みはありながら、一線級で活躍してきたが、キャリアSTATSを見る限り、それは少しずつ衰えていくステップでもあった。

上原の投手生活に決定的な影響を与えたのは、2007年のクローザー転向だった。豊田の不調に伴うチーム事情で抑えに転向、31セーブを挙げたが、本人の強い希望で翌年先発に復帰。しかし中途半端な使われ方をしたこともあり、2008年は6勝どまり。巨人と言うチームに対するロイヤリティは、この2年で大きく失われたのだと思う。

力が衰えてからのMLB挑戦だったが、その片鱗は見せた。1試合1四球と言う制球力の良さは光った。しかし被安打、とりわけ本塁打の多さが球威不足を思わせた。挙句の果ての負傷離脱である。

たらればの話で恐縮だが、98年、巨人と激しい争奪戦を繰り広げていたANAに入団していたら、当時10勝投手がフィンリー、ペトコフセクの2人と言う弱体投手陣で、エースとして活躍する可能性があったと思う。

35歳はまだ老けこむには早い。2010年の復帰を心待ちにしたい。

 

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