山中正竹『小さな大投手』



法政大学では江本孟紀と同期。同学年のライバルに早稲田の谷沢健一、1学年上は田淵、山本浩二ら花のドラフト43年組。

山中正竹氏は甲子園にこそ出場していないが、大学入学時から将来を嘱望された左腕投手だった。期待にたがわず4年間で48勝13敗という大記録を残したが、プロ入りはせずに住友金属工業で野球を続け、引退後は住友金属野球部監督、ソウル、バルセロナ五輪のコーチ、監督、そして法政大学野球部監督と指導者の道を歩む。

その後は横浜ベイスターズの専務取締役を経て母校法政大学の特任教授となり現在にいたっている。山中教授は「リーダーシップ論」などの講義を受け持っている。

アマチュア野球の経験しかない人物が、プロ野球の経営陣に迎えられる。もちろん氏の見識や人格などが評価されたのだろうが、いまだに破られない東京六大学48勝という記録がモノを言っている部分もあろう。山中正竹という人物に対して世間は「プロへ行っても成功したであろう一流の野球選手だった」という共通認識が出来上がっているのだと思う。

山中氏の身長が書かれた資料は寡聞にして知らないのだが、写真などを見ると170cmそこそこだろう。プロ入りを諦めたのは、第一に体が小さかったことがあろう。

山中と同年齢で早稲田から大昭和製紙を経てヤクルトに入った安田猛は身長173cm。コントロールの良い技巧派の投手として93勝80敗と一流の成績を挙げている。安田は早稲田ではわずか4勝、実業団に入ってから伸びた投手だが、山中氏もプロ入りしていれば同じくらいの成績はあげられたかもしれない。

しかし、その程度のキャリアでは引退後はコーチ、解説者に就くのがせいいっぱい。現在の山中氏のようにアマ球界を代表する指導者への道は拓かれなかったのではないか。

そういう意味では「プロに行かなかった」ことが、山中氏の未来を大きく拓いたように思う。

当時の東京六大学は、ただの体育会系の倶楽部ではなく、卒業後はプロに進まなくても実業団や指導者として多くの選択肢が広がる特別のステイタスがあった。野球界だけでなく、実業界でも成功した多くのOBがいた。
ある意味で、アマチュア野球がまだ健全で力があった時代だったからこそ、山中氏はアマチュアの道を選択したのだろう。

大学野球は今、新興リーグ、新興大学の勃興が顕著だ。新しい大学の指導者の多くは名門大学野球部出身ではあるが、大学自身が求めているのは勝つこと、有名選手を輩出することによる「知名度アップ」であり、東京六大学のような懐の深い文化はない。今の新興大学の野球部は率直にいえば「野球学校」である。世知辛くなっているのだ。その下には特待生や野球留学制で甲子園出場、勝利を追い求める私学の高校が連なっている。

また、卒業生の有力な進路だった社会人野球は、長引く不況と、株主優先の経営への転換によって「遊び」」がなくなりつつある。野球を通した企業イメージアップや人材育成のような悠長なことは言えなくなっている。
そういう意味では、山中氏はアマチュア野球が元気で、健在だった頃に技量を磨くことができた幸せな人だと言えよう。

国際感覚があり、目先の勝敗よりも人物育成に重点を置く、山中氏のような野球人としてだけでなく社会人、企業人としても一流の人物を、アマチュア野球界はこれからも輩出することができるのだろうか。

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