もう一つ、私が日本の野球を否定的に見るような出来事が起こった。母校の高校野球部が、私が卒業した直後に破廉恥な事件を起こして全国的なニュースになったのだ。
母校は甲子園優勝校であり、プロ野球選手が何人も輩出していた。野球部は特別の存在で父母も熱心に肩入れをしていた。「甲子園に出さえすればそれでいい」という理屈がまかり通っていた。

母校がそれほどひどい指導をしていたとは思わないが、高校野球以外では通用しないルールが存在したのは間違いがない。

日本古来の武道の「師弟関係」をそのまま引き継いだような極端な上下関係が、日本のアマチュア野球には浸透していた。1年学年が違えば奴隷同前。鉄拳制裁も当たり前。指導者の言うことはどんなことであれ、絶対服従。
そうした「鉄の規律」が、強い野球チーム、強い選手を生むと信じられてきた。

これはサル山の猿のヒエラルキーと全く同じである。順位の高いものが低いものを絶対的に支配する。
猿たちは上下関係を確認するためにときどきマウンティング(交尾の真似事)をするが、上級生や指導者の鉄拳も同じようなものだった。マウンティングは猿の体を棄損しないが、鉄拳制裁は下級生を傷つけることがあるという点で、猿より下等だった。

大したことは教えていないのだ。口で言えば済むことを、暴力で覚え込ませる。それは、上のものが、下のものに反抗させないようにするため恐怖心を植え付ける行為だった。

実にくだらない話だと思うが、学校の食堂でラーメンを食べることができるのは3年生以上だとか、バスで学校に通えるのは2年生からとか、何の意味も根拠もない差別化を容認する学校は非常に多い。
私にはこれも人権侵害だと思えるのだが。

こういう形で日本のアマチュア野球は、強固な上下関係を築いていた。そのヒエラルキーの最上位にプロ野球があり、そのまた最上位に巨人が位置した。



巨人の横暴を他の球団が止められないのは、結局のところ、鉄の上下関係がそこに存在したからだ。

もちろん、日本のアマ、プロ野球にもはるかに柔軟な部分が存在し、賢明な指導者がたくさんいることは承知しているが、強豪と言われる野球部は圧倒的に、こうしたくだらない身分制度を保持してきた。
結果として、この愚かなヒエラルキーが、日本の野球をおかしくしていったことは否めないと思う。

江川事件と私の高校の不祥事は、ほぼ同時に起こった。こうした状況が続けば、私は野球を観なくなったと思う。
極論をすれば「野球」とは、「軍隊」か「やくざ」のような特殊な世界だと思い始めたのだ。

しかしちょうどこの時期、1978年にフジテレビがMLBの中継を始めた。アメリカ大リーグの野球中継が週末を中心として中継、中継録画で放映されたのだ。
私は、MLBという違う世界の広がりに、目を見開かされた。
白人、黒人、ヒスパニック、そして少数のアジア人。彼らが繰り広げる戦いは、NPBのそれよりもスケールが大きくて、はるかにアクロバティックだった。

さらにMLBの組織や育成システム、そして人間関係もはるかにフランクで自由なものだった。
通用するのは「実力」だけ。先輩後輩の上下関係や年齢や、学歴は一切関係なし。誰かが誰かに威張り散らすこともないし、鉄拳制裁などあるはずもない。

MLBに触れて、私は、NPBが「野球のすべて」ではなく「ほんの一部」であることを知った。
巨人は正義でも、権力でもなく、世界の片隅の一球団に過ぎない。そしてプロ野球は野球の最高峰ではない。

不思議なことにMLBの試合を見始めてから、NPBの試合も面白く感じられるようになったのだ。
NPBの選手はMLBの選手に比べてどこが劣っているのか、何ができないのか。反対にMLBの選手はNPBの選手より劣っているのはどの部分か。

どっちが強いかという単純な比較ではなく、「質」「文化」の違いを吟味することで、野球を立体的に見ることができるようになった。

相対化してみることで、野球の興趣がぐっと深まったといっても良いかもしれない。

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!


『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。





「読む野球-9回勝負- NO.2」私も書いております。




広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。




クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1955年のセリーグ、先発救援投手陣

Classic Stats