攝津正の年俸が史上最短で4億円に達したと言う。当然の話だろう。
この投手は、ドラフトの目玉ではなかった。秋田市の出身。秋田経済法科大付属高校からJR東日本に入社。何と2001年から2008年まで8年間も社会人で投げている。
当初は140km/h出るか出ないかと言う球速で、目立つ存在ではなかった。
しかし4年目頃からエース格となった。
とはいっても、プロから注目される存在ではなく、ソフトバンクにはドラフト5位で入団した。
キャリアSTATS

settsu-2013


新人の年にすでに27歳。今の田中将大よりも1歳上だった攝津は、ソフトバンクの強力な中継ぎ陣の主軸として実績を重ねた。
救援投手時代の攝津の特長は、大崩れが無く、好不調の波がほとんどないことだった。2年間の月間成績は、13か月のうち11か月でERAが3点以下。抜群の安定感だった。

2011年に杉内俊哉、和田毅、ホールトンと先発投手3人が移籍すると、攝津は先発に回る。いくらなんでもそんなことが可能か、と思ったが、スターターとしても攝津は期待以上の成績を残した。要するに、投手としての心技体ができているのだろう。

先発投手としても攝津の最大の特長は「安定感」。ほとんどの登板でQSをマークする。
三振を取りまくるわけではないが、試合を作る能力に長けていた。

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マウンド上の攝津は、打者をぐっと睨み付け、真っ向勝負を挑んでいる。投球内容もさることながら、周囲に「俺に任せておけ」というオーラを放っている。見ていてほれぼれとする。こういう投手はあまりいない。

WBCの影響もあってか、今季の攝津は打ち込まれることがおおかった。特に9月の大事な時に3連敗、被安打が増えた。

しかしチームは攝津に4億円の年俸を払うことを決めた。エースは彼しかいない、と考えているのだろう。

ここ3年間で攝津は46勝21敗、これは田中将大(53勝9敗)に続き、内海哲也(46勝15敗)とならぶ2位タイの記録だ。
田中の米移籍が決まった今、攝津はパリーグのエースと言ってよいだろう。



悩ましいことにトッププロ野球投手にとって、NPBでエースになることは「上がり」ではなくなっている。
攝津が海外FA権を取得するのは35歳。上原浩治は33歳で海を渡ったが、5年で球界の頂点に上り詰めた攝津が、そのことを思うようになったとしても不思議ではない。


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Classic Stats



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