一日に最低でも5回は見に行くbaseball-reference.comというサイトが、昨年シーズン中にNPBのデータを公開し始めた。
このサイトは、FangraphsとともにWARの数値を発表している権威ある記録サイトだ。ESPNなどにも情報を提供している。
これまではMLB、マイナーリーグの2つだけだった。NPBの記録はマイナーリーグの中に混ざっていたのが、昨年から独立したジャンルになったのだ(同時にニグロリーグのデータも紹介するようになった)。

これはアメリカのアナリストたちがNPBを「その他大勢」ではなく、「別個のリーグ」としてきちっと評価し出したことを意味している。
もちろん、NPBとMLBをごっちゃにするような考え方ではなく「MLBに次ぐ歴史と実力を有するリーグ」だと認識したのだろう。

これは、日本の野球がアメリカに認められた、目に見える形での「エビデンス」の一つだろう。

これをもたらした最大の功労者が野茂英雄であるのは間違いがない。

野茂のキャリアSTATS。baseball-reference.comに基づいて作った(私のサイトのキャリアSTATSの並べ方は4年前から、このサイトに準拠している)。

Nomo-H


NPBの5年間で圧倒的な成績を残した野茂は、任意引退のステイタスでアメリカにわたり、10万ドルのマイナー契約でスタートした。
当時まだマイナーリーグに存在した独立系のマイナー球団ベイカーズフィールドで1試合テスト登板をしたのちに、5月にメジャーに昇格した。
ベイカーズフィールドでこのシーズンプレーした選手の中には、20歳のアレックス・ラミレスがいた。

私は阪神大震災で被災した会社に通いながら、野茂の登板を心待ちにしていた。芦屋の駅のマルチビジョンで、出社時間を気にしながら食い入るようにその登板を見ていた記憶がある。

野茂は1試合3本塁打を打たれるなどなかなか勝ち星が上がらなかったが、7試合目の6月2日にようやく初勝利を挙げた。以後は破竹の7連勝。私はMLBに夢中になった。

野茂のボールがMLBに最も通用したのはこの年だったと思われる。奪三振王を獲得し、新人王にもなった。

大きな野茂の体が機械仕掛けのようにゆっくりと回転し、そのパワーを指先に集める。そして糸を引くような速球を投げ込んだのだ。これを見るのは本当に快感だった。
96年にはノーヒットノーランも記録した。

2001年の2度目のノーヒッターも思い出深い。4月4日、私の父が最後の入院をした翌々日、いろいろなことが手につかなかったが、この快挙は良く覚えている。この年はイチローもデビューし、MLB人気が沸騰した。



以後、野茂は数年間一線で活躍したが、2005年からは成績が急落し、2008年4月18日のオークランド戦を最後に引退した。
ロイヤルズに所属する野茂は、この試合の8回、薮田安彦がジャック・カストに押し出しの四球を与えた後に登板した。
満塁。ブラウンに二塁打、スィーニーにタイムリーヒット、クロスビーに2ランホームランを打たれた。しかし最後はトラビス・バックを三振に切って取ってキャリアを終えたのだった。

野茂英雄には感謝の言葉しかない。

多くの日本の人々がMLBの魅力に目を開かされたのは、まさしく野茂英雄の活躍からだった。
NPBという組織から飛び出して未知の世界に身を投じた勇気と、自己の流儀を貫きながら能力を発揮した一途さには、本当に感銘を受けた。

その壮挙はまさに野球殿堂にふさわしい。

そして日本球界が野茂英雄の功績をこんなにも早く認めた事にも敬意を表したい。


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