今年、春のうちに2000本安打に達しそうな打者には稲葉、宮本のほかに小久保裕紀がいる。MLB移籍失敗の挫折から復活した稲葉、専守防衛から進化し続ける宮本とは対照的に、小久保の大台到達は遅すぎたという感が強い。洋々たる未来を感じさせる若手選手だったが、何度も挫折を経験したのだ。
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巨人との争奪戦の末、ダイエーに入団。守備位置は二塁。2年目にはイチローの三冠王を阻止して本塁打王。4年目には打点王。彗星のようにリーグ最強打者に登りつめた。しかしこの年のオフに脱税事件をおこして謹慎処分。翌年は出場停止8週間。復帰直後に右肩を怪我してシーズンを棒に振る。ファンは小久保をオールスターに選出したが不出場。この件でも非難を浴びる。

翌年以後復活するが、2000年ころから故障がちとなる。守備位置は三塁から一塁へ。そして2003年春、オープン戦で右足、膝に全治6カ月の重傷を負いシーズンを全休。さらにシーズン後には球団社長高塚猛と対立し、無償トレードで巨人に移籍する。ダイエー出身の高塚孟はのちにえげつないセクハラで逮捕され球界を追われた人物だが、すでにダイエーの屋台骨が揺らいでいた中で、チームのモラルは低下していたのだろう。
何があったのか、うかがい知れないが、後味の悪い移籍劇だった。

グランドの外の様々な軋轢が、小久保のキャリアを分断した。若いころの過誤は自業自得だろうが、以後は不運としか言いようがない。

移籍時32歳。満身創痍ではあったが、巨人の小久保はひときわ存在感があった。長嶋茂雄以来の右の強打者という評価もあったが、3年目には故障で長期離脱。

翌年再びホークスに復帰した。

以後の小久保の成績は、十分なものとはいえない。本塁打は年々減少。出場試合も昨年、100試合を切った。
しかしファンは小久保に今も大きな声援を寄せる。成績が下がってもオールスターに選出され続けているのだ。昨年は他の競争相手がいなかったこともあって、10本塁打48打点で一塁のベストナインにも選ばれている。
しかし小久保はそれで満足はしないはずだ。最も脂の乗った30代前半に十分に働けなかった悔恨が残っていると思う。

一塁でも打席でも、小久保はどっしりと構えて堂々たる風格がある。ホークスのユニフォームのまま19年のキャリアを重ねていたら、松中とともにONに匹敵する左右の強打者として歴史に名を刻んでいたはずだ。
そんな悔恨がつきまとう大選手である。


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