生まれて初めてバットを買ってもらったのは小学校高学年の頃だと思う。薄いビニールをはがしてグリップの部分を握りしめた感触が今も手に残っている。
早速、草野球に持っていった。友人に目ざとく見つけられ「貸して」と言われた。
ほとんどヒットを打ったことのなかった私の打順は下位。上位打線の子が代わる代わる私の新しいバットで打っていたが、ある子がファウルを打った途端「あ、折れてしもた」と言った。
その子は別段悪そうな顔もせず「テープ巻いて使たらええやん」と言って折れたバットを渡した。私は自分で一度も打たないうちにニューバットを折ってしまったのだ。決して安くない金額で買ってもらった申し訳なさとともに、私は「バットと言うのは折れるものなのだ」ということをしみじみと悟った。
ミズノの久保田五十一氏引退の記事を見て思ったのは、この名工は苦労して作っても、一瞬で消耗してしまうような「道具」を作り続けたのだ、ということだ。
イチローや松井秀喜など、大打者の要求に応じてバットの形を作るのは大変だったと思うが、バットは「消耗品」なのだ。一度固めた形のバットを寸分たがわず作り続けるのも大変だったろう。ましてや今は、バット材が枯渇しつつあるのだ。
バット材については長谷川晶一さんのこの本を読むべし。
バーナード・マラマッドの「汚れた白球」はのちに「The Natural」と邦題が変わり、映画にもなって人気を博した。
主人公のロイ・ハブスは自分で削って作ったバットを引っ提げてプロ野球界で活躍する。
そのバットが折れたときに彼は破滅するのだ。
十代の頃にこの小説を読んだとき、1本のバットで十数年も野球ができるはずがないと思った。
しかしジョー・スウェルは、たった一本のバットで14年間MLBで活躍し、2226安打、.312を記録。ベーブ・ルース時代の名遊撃手として殿堂入りしている。
「The Natural」のロイ・ハブスのモデルと言われるジョー・ジャクソン(シューレス・ジョー)も一本のバットを大切にし、「打者とバットは良く似ているんだ」と語ったという。
名人級の打者は芯を外すことは少なかったから、1本のバットを長く使い続けることができたのだろう。ただ、同時に「道具を大事にする」という精神もあったはずだ。
2010年7月の朝日新聞紙上で桑田真澄は少年たちに「野球の心得」を箇条書きで説いたが、その中で
六、米国を手本にしない
とした。その理由の一つとして、メジャーリーガーたちが道具を大事にしないことをあげている。
MLB選手が凡打に終わった腹いせに、バットを膝で折るシーンはしばしばみられる。
自分たちが飯を食う道具であり、「打者の魂」ともいえるバットを、腹立ちまぎれに折ることなど本来であれば考えられない。
バットを折る打者は不正薬物使用や拝金主義など「病んだMLB」の象徴なのだろう。メジャーリーグは、経済的に成長するとともにかつての精神を失いつつあるのだ。
しかし、一方で、ピート・ローズ、マイク・ピアッツァ、チッパー・ジョーンズのように久保田五十一氏のバットを求めるMLB選手もいた。彼らは軽々にバットをへし折ったりしなかっただろう。
どんな世界でもそうだが、「拝金主義」など「新しい動き」が主流になる中で、「古き良き精神」も少数ながら受け継がれるということだろう。
久保田五十一氏は、恐らく本家MLBでさえ到達したことのない、高いレベルでのバット作りをしていた。まるで刀鍛冶が名刀を作るように、バットを鍛え上げていたのだろう。
ボール、グラブやスパイクなどもそうなのだが、日本は、アメリカ生まれの野球用具を、アメリカよりも完成度の高い“芸術品”に磨き上げてきた。
日本は、ワイルドで大雑把なアメリカのBaseballをきめの細かな野球に翻案してきたのだ。
恐らく日本のトップクラスの先発投手がMLBで高いパフォーマンスを見せるのも、同じような「きめの細かさ」によるのだと思う。
経済格差もあって、何かと下風に立つことが多い日本プロ野球。
特に野手の評価はMLBではだだ下がりだが、久保田五十一氏を範とすることで、打開の糸口が見えてくるのではないか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
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『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
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広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。
ほとんどヒットを打ったことのなかった私の打順は下位。上位打線の子が代わる代わる私の新しいバットで打っていたが、ある子がファウルを打った途端「あ、折れてしもた」と言った。
その子は別段悪そうな顔もせず「テープ巻いて使たらええやん」と言って折れたバットを渡した。私は自分で一度も打たないうちにニューバットを折ってしまったのだ。決して安くない金額で買ってもらった申し訳なさとともに、私は「バットと言うのは折れるものなのだ」ということをしみじみと悟った。
ミズノの久保田五十一氏引退の記事を見て思ったのは、この名工は苦労して作っても、一瞬で消耗してしまうような「道具」を作り続けたのだ、ということだ。
イチローや松井秀喜など、大打者の要求に応じてバットの形を作るのは大変だったと思うが、バットは「消耗品」なのだ。一度固めた形のバットを寸分たがわず作り続けるのも大変だったろう。ましてや今は、バット材が枯渇しつつあるのだ。
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バーナード・マラマッドの「汚れた白球」はのちに「The Natural」と邦題が変わり、映画にもなって人気を博した。
主人公のロイ・ハブスは自分で削って作ったバットを引っ提げてプロ野球界で活躍する。
そのバットが折れたときに彼は破滅するのだ。
十代の頃にこの小説を読んだとき、1本のバットで十数年も野球ができるはずがないと思った。
しかしジョー・スウェルは、たった一本のバットで14年間MLBで活躍し、2226安打、.312を記録。ベーブ・ルース時代の名遊撃手として殿堂入りしている。
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名人級の打者は芯を外すことは少なかったから、1本のバットを長く使い続けることができたのだろう。ただ、同時に「道具を大事にする」という精神もあったはずだ。
2010年7月の朝日新聞紙上で桑田真澄は少年たちに「野球の心得」を箇条書きで説いたが、その中で
六、米国を手本にしない
とした。その理由の一つとして、メジャーリーガーたちが道具を大事にしないことをあげている。
MLB選手が凡打に終わった腹いせに、バットを膝で折るシーンはしばしばみられる。
自分たちが飯を食う道具であり、「打者の魂」ともいえるバットを、腹立ちまぎれに折ることなど本来であれば考えられない。
バットを折る打者は不正薬物使用や拝金主義など「病んだMLB」の象徴なのだろう。メジャーリーグは、経済的に成長するとともにかつての精神を失いつつあるのだ。
しかし、一方で、ピート・ローズ、マイク・ピアッツァ、チッパー・ジョーンズのように久保田五十一氏のバットを求めるMLB選手もいた。彼らは軽々にバットをへし折ったりしなかっただろう。
どんな世界でもそうだが、「拝金主義」など「新しい動き」が主流になる中で、「古き良き精神」も少数ながら受け継がれるということだろう。
久保田五十一氏は、恐らく本家MLBでさえ到達したことのない、高いレベルでのバット作りをしていた。まるで刀鍛冶が名刀を作るように、バットを鍛え上げていたのだろう。
ボール、グラブやスパイクなどもそうなのだが、日本は、アメリカ生まれの野球用具を、アメリカよりも完成度の高い“芸術品”に磨き上げてきた。
日本は、ワイルドで大雑把なアメリカのBaseballをきめの細かな野球に翻案してきたのだ。
恐らく日本のトップクラスの先発投手がMLBで高いパフォーマンスを見せるのも、同じような「きめの細かさ」によるのだと思う。
経済格差もあって、何かと下風に立つことが多い日本プロ野球。
特に野手の評価はMLBではだだ下がりだが、久保田五十一氏を範とすることで、打開の糸口が見えてくるのではないか。
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