3月28日の開幕を前に、NPBは出場選手登録のリストを発表した。
出場選手登録は、一軍登録ともいわれる。
登録できる選手数は最大28人で、実際に試合に出場できるのは試合前に指名された最大25名。
そのリストの選手をポジション別の一覧表にした。

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開幕時点で一軍登録選手は323人。支配下選手は777人、一軍登録される選手は全体の42%、狭き門とまでは言えないが、一軍の試合に出られない選手の方が多いのだ。
これ以外に74人の育成選手がいる。

投手はローテーションを外れると短期的に一軍登録を外れることがある。頻繁に入れ替えられる。

今「昭和20年代野球倶楽部」というグループで、昔のチームのことを調べてわいわいやっている。先月は毎日オリオンズ、今月は西鉄ライオンズについて調べた。
古い写真や貴重な資料が出てきて、毎回盛り上がっているが、私は毎年のSTATSを紹介している。

当時の選手構成と今との最大の違いは、投手数だ。たとえば1958年の西鉄ライオンズは、シーズン通して10人の投手でペナントレースを戦った。その55年後、西武ライオンズは25人の投手を使っている。
「神様仏様稲尾様」と言われた稲尾和久をはじめとする投手陣が先発完投した当時と大きく異なり、当代の投手陣は完投はごくわずか。ほとんどの試合で3人以上が投げている。それだけ投手陣は分厚くなってくるのだ。

その分減っているのが捕手である。楽天やオリックスは一軍登録の捕手はたった2人。
昔の記録を調べていると、最もポジション争いが厳しかったのは捕手だ。西鉄でいえば、戦前からの名捕手日比野武に、若手の和田博美が挑み、その和田には中日からきた河合保彦が挑戦する。さらに巨人から宮寺勝利がやってくる。
打撃が良い捕手と守備、リードに秀でた捕手が熾烈な争いをしていた。

今はこうしたライバル争いがあるチームはごくわずかだ。
日本ハムのように、大野、鶴岡と実力が拮抗した捕手が出ると、一人は移籍してしまうことが多い。「使える捕手」は他球団で引く手あまただからだ。

こうした状況が進んだために、NPBは慢性的な「捕手日照り」の状況にある。
そもそも絶対数が少ない。今年のDeNAはチーム全体で5人しか捕手がいない。
昭和の時代のプロ野球では1軍の試合に出た捕手の数だけで5~6人はいたものだ。

支配下選手枠70人と言う制限の中で、各球団は投手をできるだけ確保したいと思うあまり、捕手数を削っているのだろうが、この状況が続くと捕手を志望する選手が減り、レベルダウンするのではないかと思う。

支配下選手枠の見直しが必要ではないかと思う。


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