MLB公式サイトにハンク・アーロンの写真が出ている。現地時間の今日4月8日は、ハンク・アーロンがベーブ・ルースの通算記録を抜く715号を打った日。あれからちょうど40年がたった。
アーロンは、私たちの世代にはなじみが深いメジャーリーガーだ。
野村克也より1歳上、“世界記録”に向けて本塁打を量産していた王貞治にとっての目標だった。
分厚いキャリアSTATS

Aaron


何となく新しい選手のように思っていたが、この選手はジャッキー・ロビンソンがロサンゼルス・ドジャース傘下に入団した6年後にブレーブス傘下に入団している。
二グロリーグの経験もあり、その意味でも歴史的な存在だ。

キャリアSTATSを見れば打点王を2年おきに4度、本塁打王を3度、首位打者を2度獲得しているが、それほど派手な成績ではない。

当時、ナリーグには3つ年長で、抜群の長打力とスピードを誇るウィリー・メイズがいた。例の「ザ・キャッチ」に象徴されるように、身体能力の高さを見せつけたメイズに比べれば、アーロンは堅実そのもの。
とにかく故障が少なく、試合に出続けた。

でも、STATSを見ると1960年から9年連続で二けた盗塁。鈍重な選手ではなかったのだ。

1967年、33歳を最後に打撃タイトルからは遠ざかる。オールスターに選ばれ続けていることを見ても「アトランタのローカルスター」ではあったろうが、全国的なスターとは言えなかった。

しかしキャリアが20年を超え、ベーブ・ルースの本塁打記録に迫るとともにアーロンは注目されだした。
そして40年前の今日、715本目の一発を放ってMLBの本塁打王になったのだ。

私たちの世代にとって強烈な記憶は、この年の秋、ニューヨーク・メッツの来日に帯同してやってきて、王貞治とホームラン競争をしたことだ。
この年のメッツにはジョー・トーレ、トム・シーバーなどのスター選手がそろっていたが、弱かった。その分、アーロンの印象が強かったのだ。

豊浦彰太郎さんは「日米決戦だ」とものすごい意気込みでテレビを見ていたと話しておられたが、私も固唾をのんでみていた。

しかしアーロンは全く緊張していなかった。にこやかに打席に立ち、軽々とボールをスタンドに運んでいた。投手はコーチだったように思う。確か途中まで王がリードしていたが、最後はアーロンが僅差で勝ったと記憶している。

この年、アーロンは20本しか本塁打が打てなかったが、それでもパワーでは王より上なのだ、高校生だった私はそう思ったことを記憶している。

彼の背番号44が知れ渡ったのもこの年だった。

投手の最高の栄誉であるサイ・ヤング賞に対して、打者の最高の栄誉はハンク・アーロン賞。単なる記録だけではなく、長くファンを喜ばせた長者的なアーロンにちなんでの賞だろう。

誰でも知っている通り、アーロンの本塁打記録は2007年にバリー・ボンズに抜かれたが、最高の打者に与えられる賞がバリー・ボンズ賞に代わることはないだろう。

80歳のアーロンは健在。丈夫で長持ちの象徴のような人生を悠々と歩いている。


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