色々と勉強になる。
やはり本と言うのは見た目が大事だ。黒の表紙に金のホットスタンプでタイトルを入れ、帯にはパイプをくわえた吊りズボン姿の渡邉恒雄ご本人。
これは相当立派な本だと思ってしまう。
率直に言って著者名を見て買うのをやめようかなと思った。1600円+税を支払う価値があるか。
しかし、私の本でも買って下さる方がいるのだし、この本がそんなに無内容と言うことはないだろう。

私が期待したのは「悪人」「独裁者」と言われながらも野球界、言論界、政界に君臨する渡邉恒雄氏の「理屈」だった。
彼には何らかの真っ当な理由があって、傍若無人と思われる言動を続けているのだろう。
それは到底受入れられないにしても、それなりの重さと説得力を持って私に迫ってくるのではないか。
この豪華で重厚な本は、そういう期待を抱かせた。

意外なことだが、著者江尻良文氏が渡邉恒雄氏の知己を得たのは、例の「清武の乱」がきっかけだったという。
巨人贔屓、ON贔屓で知られる江尻氏。「清武の乱」のときも渡邉氏擁護の論陣を張っていたが、この時点では渡邉氏は江尻氏と親しく話したことは無かったようだ。

しかしその記事がきっかけで人を介して渡邉氏から「食事がしたい」と言われて江尻氏は出かけていく。
例のホテルのレストランで、江尻氏は下へも置かぬもてなしを受ける。渡邉氏は賓客に対してきめ細やかな心配りをする。コースメニューではなく、オリジナルメニューの中からお客は好きなものに丸を付けてオーダーすることができるのだそうだ。
江尻氏は心の底から感激したようだ。

江尻氏はその席上で、イチローにぞっこんだった渡邉氏に対し「巨人に必要なのはイチローではなく松井秀喜」という持論を展開する。
江尻氏がイチローを大嫌いなことは「はたしてイチローは本当に一流なのか」という著書があることでもわかる。イチローは挨拶をしないし、江尻氏に冷たかったのでけしからんと言うわけだ。



渡邉氏が江尻氏の言うことを聞いたかどうかはわからないが、イチローは今やレギュラーの身分さえ危ういのに対し、松井は引退翌年には国民栄誉賞に輝いた。
江尻氏はこのことが嬉しくてたまらないようだ。

この本はずっとこの調子である。渡邉氏と長嶋茂雄、王貞治、桑田・清原、清武の乱、江川卓、プロ野球選手会の関係について、誰でも知っているような事実関係を並べ立て、その折々の渡邉恒雄氏の言動を紹介しては、「その通りだ」「正しい」「素晴らしい」と賛辞を並べ立てているのである。

別に事実は枉げてはいないが、渡邉氏の言動はいかに独裁的であっても、強引であってもなんでもOK。

私は渡邉氏の言動の深奥にある考え方や人格的な陰影が多少なりとも知ることができると思ったのだが、何にもなし。

ただいくつかは読むべきところもある。

例の江川事件は、讀賣のトップ務台光雄氏の病気療養中に起こった事件であり、渡邉氏はまだ経営陣ではなく、関与していなかった。
法律にうるさい渡邉氏はこの事件に激怒し、当時の金子鋭コミッショナーなどと極秘裏に接触し、阪神から江川をトレードさせるなどの善後策をまとめたのだという。
渡邉氏が野球界との関係を持つのは平成になってからだと思っていたが、その15年も前から剛腕ぶりを発揮していたのだ。
もっとも江尻氏のニュースソースは何かはわからないが。

「清武の乱」については当然ながら、全面的に読売サイドの側に立っている。
今から思えば確かにこの事件は清武氏の「私怨」の部分が見え隠れするが、その「私怨」によって、讀賣、巨人サイドがいかに強引で不正な選手獲得を行っていたかが露呈した。
阿部慎之助など有力選手の獲得に巨額の金が動いたことなど、大問題だと思うが、江尻氏は渡邉氏サイドが言う「違法性はない」をそのまま鵜呑みにし、清武氏の背信だけを攻撃している。

「違法性はない」は渡邉氏、巨人サイドの常とう句だが、世間から非難されているのは「違法性はないかもしれないが、そのルールの基本精神を踏みにじるのは良い事なのか」ということだ。
そのあたりを江尻氏に期待するのは土台無理な話だろうが。

もうひとつ面白かったのは、渡邉氏が一番応えたのはやはり、「たかが選手が」発言だったということ。
江尻氏によれば、渡邉氏は、古田敦也選手会長がオーナーと話しをしたいと言っているが「それは多分無理ですよ」と言ったに過ぎない、とのこと。
「たかが」発言は、記者に「はめられた」のだという。

しかしいくらはめられたと言っても、心にも思っていないことは言葉にはならないだろう。
「たかが選手だ」という言葉が渡邉氏の口を衝いて出たのは事実だ。

こういう感じで、延々と渡邉氏に関する表層的なエピソードが紹介され、その都度渡邉氏の正当制や先見の明がほめそやされている。
しかしこの本では、他の誰かをはっきり特定して非難することもしていない。敵を作りたくないのだろう。その結果、本の読後感がぼんやりしている。

最終章では讀賣新聞の新社屋の完成、そして恩師と仰ぐ務台光雄氏と同年の94歳まで権力の座に座ろうとする渡邉氏の意気込みが描かれている。
「でんでんでん」と小っちゃい太鼓を鳴らす音が聞こえてきそうだ。

フジサンケイグループは、夕刊フジの編集委員にこういう人物がいることを許してよいのか。大阪戦争で産経新聞は讀賣新聞にえげつないダメージを食らったはずではないか。

実のところ、江尻氏の様な思考、言動を取る人は珍しくない。
当サイトに意見を述べられる方の中にも「巨人軍の発表は全肯定」みたいな人は結構いる。頼まれもしないのに巨人の立場を代弁するのである。私には理解できない。

最近、NPBや各球団の職員の方と話をする機会が増えたが、身内であってもこういう現状を良しとする人はほとんどいない。そして口をそろえて、NPB上層部に問題があるという。
驚くほど率直に話されるので、こちらが戸惑うくらいだ。

野球界の未来を考えれば、改革のときはとっくに来ているのだ。
この本にはそういう現状は一切書かれていない。
それどころか「野球の現場」の話もほとんどない。野球記者歴40数年の記者にして、こんな本を書くのだ。

要するに、江尻氏は1冊の本の形を借りて「食事のお礼」をしたかったのだと思う。
お料理美味しゅうございました、一生ついていきます。
後書きはまさにそういう調子だ。
麗しき礼節ここに極まれり、である。

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