味わい深いコメントをいただいた。
■udaiさん

松井秀喜は同い年で誕生日が一日違いということもあり、高校時代から応援していました。

甲子園での5敬遠で有名ですが、その試合で最も印象に残ったシーンgあります。九回2死から星稜の3番打者が三塁打。次の松井は敬遠されましたが、全く不満そうな態度を見せずに出塁し、直後にもの凄い形相で二盗に成功。堂々とユニホームについた砂を払い、5番打者に「打ってくれよ」という視線を送っていました。

自分のコントロールできないことには惑わされず、コントロールできることに全力を尽くすというポリシーを、18歳にして既に持っていたことを象徴する場面だったと思います。
素晴らしい選手でした。

■fujiboさん

確かに松井はMLBのいち主軸としては物足りない成績が多かった。実際もどかしい思いもしました。それでも、ビッグ・リーグでスラッガーとして勝負しつづけてくれたことは尊敬に値します。2年目のHR量産は大いに楽しませてもらいました。

松井自身もNYYも「それどころではない」と思っていたでしょうけど、WBCで4番を打つ姿が見てみたかったですね。

個人的な思い出としてはNPB時代の方が多いです。デビューの年、野村ヤクルトは物凄く松井を警戒していました。点差が開けば、ピッチャーに松井がHRできそうなコースにわざと投げさせ、穴を探る。ノムさんは球場外で舌戦を仕掛ける。無駄だと知りつつも、少しでもブレークを遅らせたい。そんなベンチの思いが伝わってきました。

お気に入りのシーンは、やはりNPB時代。佐々木のフォークを泥くさくセンター前に落として、ガッツポーズしながらファーストまで走った姿です。当時、G監督をしてベイは7回までにリードしていないと負けと言わしめたブルペンを打った。ふだん控え目な男が喜びを爆発させた、松井の人柄がよく表れた一打でした。

■Gファンですがさん

松井は巨人入団時の春季キャンプを見たときの衝撃が忘れられない選手です。
当時巨人の左の主力打者は吉村に駒田。この二人がフリー打撃で超えられなかったライトスタンドの防球ネットを軽々超えていた。

甲子園の5連続敬遠は恥ずかしい行為だと思っていましたが、生の打球を見て5敬遠は必然の策と思い直した次第。

その後自分の仕事の関係で東京勤務になった時期に、コジラジュニアから本物のゴジラに変貌する時期が重なり東京ドームでたくさんの本塁打を見せてもらいました。

MLBではNPB時代と変わってルー・ゲーリッグのようなスウィングになりましたが環境への対応として必要であったと思っています。

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