私よりも下の世代で、特別の選手だ、と思う人が多い。
キャリアSTATS
①自分の投球
ただ勝つだけでなく、自分の投球をして勝ちたいと言う思いが強い。
自分の投球とは、ストライクゾーンで、自分が得意とするボールで、相手を打ち取ることだ。
高校、プロの前半は、ホップする速球が決め球。高校時代は完全に見下ろしていたが、プロデビュー戦での片岡篤史に投じた内角高めにずばっと決まる155km/hの速球は、新しい時代の到来を思わせた。
イチローとの名勝負も印象的だった。内角の速球と高速スライダーで追い込むと、外角高めにまっすぐ。伸びと勢いで、ミートの天才、イチローのバットを空回りさせた。
その爽快感は比類がない。
しかし「結果」よりも「内容」を重視した松坂は、無駄球が多かった。圧倒的な力量差があるはずの打者に出塁を許し、走者を背負って強敵と対戦することも多かった。WHIPが悪かったのだ。
そのために、勝負に負けると大量失点につながることもあった。
MLBに移籍するときには、松坂はスライダー、カーブ、フォークなど多彩な変化球を持つ投手になっていたが、「勝負」にこだわる姿勢は変わらなかった。
好調な時の松坂の登板は、見ていて楽しかった。躍動感のあるフォームで打者を次々と打ち取った。
アレックス・ロドリゲスに対しては異様な集中力で打ち取ることが多かったが(26打数4安打1本塁打)、その前後のデレク・ジーター(27打数7安打2本塁打)、マーク・タシェアラ(21打数7安打1本塁打)などに痛打されることが多かった。
松坂に異様な敵愾心を持ったのが、ゲイリー・シェフィールド。この打者は、松坂の決め球である速球、スライダーを痛打した(13打数7安打2本塁打)。
この勝負はどきどきしたが、見ごたえがあった。
WBCでの2度の活躍も、「ここぞ、に強い松坂」を知らしめた。
②プライド
藤川球児、和田毅、杉内俊哉、新垣渚、木佐貫洋、久保裕也、久保田智之、松坂大輔の同学年には、時代を代表する好投手が驚くほどたくさん輩出した。
実績で松坂に肩を並べる投手も出始めた。
しかし、この世代は「松坂世代」。その衝撃的な登場、水際立った活躍は同世代の野球人に常に強烈な影響を与えていた。
関東の人々に話を聞くと「俺は松坂と野球をした」「松坂のマウンドを見た」「松坂と同い年だ」と言う人が多い。私の時代であれば「江川卓」に匹敵するような「同時代の指標」になる選手なのだろう。
松坂自身もそれが大きなプライドになっていたに違いない。
MLBに移ってからの松坂は、調整法や配球をめぐって、指導者とたびたび意見が食い違った。
しかし、彼は自分のやり方を押し通そうとした。ノースロー調整を受け入れず、投げ込むことで調子を取り戻そうとした。
体調管理は不十分で、体にみっしりと肉が付き、ボールのキレも悪くなった。
しかし松坂は自分のスタイルに固執した。
その挙句にトミー・ジョン手術。
恐らくは高校時代からの登板過多と、MLBでの過酷な環境が、かれの肘に悲鳴を上げさせたのだろう。
私は松坂の凋落に落胆したが、同時に「日本野球」と「アメリカ野球」のギャップを身を以て示している様な感じがした。
松坂自身が悪びれたり、責任転嫁したりすることはなかったことも好印象を与えた。悲しいときは悲しい顔をし、落ち込むときは落ち込んで、辛い境遇に耐えていた。
本当のプライドは逆境を耐え抜く力にもなると思った。
③復活
5111万ドルものポスティングフィーを西武ライオンズに落とした世紀のパワーピッチャー松坂大輔は、2013年春、マイナー契約の招待選手としてクリーブランド・インディアンスに入団。
しかし開幕ロースターには残れず、マイナー行き。
そしてニューヨーク・メッツに移籍。シーズン終盤にローテーション投手となる。
最初の数試合は全く目が出なかったが、最終盤になってカーブを主体とする新しい投球スタイルで活路を見出す。
かつての打者を見下ろすような投球スタイルは姿を消したが、経験に基づいた円熟のマウンドを見せている。
それでも四球は多く、かつての「やんちゃ」の面影はあるが、一歩一歩地歩を回復しつつある。
私は、松坂に、リストラなど挫折から再起する中年男を重ね合わせた。
エースのプライドを秘めつつ、再びエースの称号を得ようとする不屈の闘志に、心から声援を送っている。
ついに11差 勝負ありか? パは勝ち越しまであと12
みなさんの「松坂大輔」「他の選手」への思い、コメントにお寄せください。数がまとまったら記事にします
↓
そうですね、は流行語だった?
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①自分の投球
ただ勝つだけでなく、自分の投球をして勝ちたいと言う思いが強い。
自分の投球とは、ストライクゾーンで、自分が得意とするボールで、相手を打ち取ることだ。
高校、プロの前半は、ホップする速球が決め球。高校時代は完全に見下ろしていたが、プロデビュー戦での片岡篤史に投じた内角高めにずばっと決まる155km/hの速球は、新しい時代の到来を思わせた。
イチローとの名勝負も印象的だった。内角の速球と高速スライダーで追い込むと、外角高めにまっすぐ。伸びと勢いで、ミートの天才、イチローのバットを空回りさせた。
その爽快感は比類がない。
しかし「結果」よりも「内容」を重視した松坂は、無駄球が多かった。圧倒的な力量差があるはずの打者に出塁を許し、走者を背負って強敵と対戦することも多かった。WHIPが悪かったのだ。
そのために、勝負に負けると大量失点につながることもあった。
MLBに移籍するときには、松坂はスライダー、カーブ、フォークなど多彩な変化球を持つ投手になっていたが、「勝負」にこだわる姿勢は変わらなかった。
好調な時の松坂の登板は、見ていて楽しかった。躍動感のあるフォームで打者を次々と打ち取った。
アレックス・ロドリゲスに対しては異様な集中力で打ち取ることが多かったが(26打数4安打1本塁打)、その前後のデレク・ジーター(27打数7安打2本塁打)、マーク・タシェアラ(21打数7安打1本塁打)などに痛打されることが多かった。
松坂に異様な敵愾心を持ったのが、ゲイリー・シェフィールド。この打者は、松坂の決め球である速球、スライダーを痛打した(13打数7安打2本塁打)。
この勝負はどきどきしたが、見ごたえがあった。
WBCでの2度の活躍も、「ここぞ、に強い松坂」を知らしめた。
②プライド
藤川球児、和田毅、杉内俊哉、新垣渚、木佐貫洋、久保裕也、久保田智之、松坂大輔の同学年には、時代を代表する好投手が驚くほどたくさん輩出した。
実績で松坂に肩を並べる投手も出始めた。
しかし、この世代は「松坂世代」。その衝撃的な登場、水際立った活躍は同世代の野球人に常に強烈な影響を与えていた。
関東の人々に話を聞くと「俺は松坂と野球をした」「松坂のマウンドを見た」「松坂と同い年だ」と言う人が多い。私の時代であれば「江川卓」に匹敵するような「同時代の指標」になる選手なのだろう。
松坂自身もそれが大きなプライドになっていたに違いない。
MLBに移ってからの松坂は、調整法や配球をめぐって、指導者とたびたび意見が食い違った。
しかし、彼は自分のやり方を押し通そうとした。ノースロー調整を受け入れず、投げ込むことで調子を取り戻そうとした。
体調管理は不十分で、体にみっしりと肉が付き、ボールのキレも悪くなった。
しかし松坂は自分のスタイルに固執した。
その挙句にトミー・ジョン手術。
恐らくは高校時代からの登板過多と、MLBでの過酷な環境が、かれの肘に悲鳴を上げさせたのだろう。
私は松坂の凋落に落胆したが、同時に「日本野球」と「アメリカ野球」のギャップを身を以て示している様な感じがした。
松坂自身が悪びれたり、責任転嫁したりすることはなかったことも好印象を与えた。悲しいときは悲しい顔をし、落ち込むときは落ち込んで、辛い境遇に耐えていた。
本当のプライドは逆境を耐え抜く力にもなると思った。
③復活
5111万ドルものポスティングフィーを西武ライオンズに落とした世紀のパワーピッチャー松坂大輔は、2013年春、マイナー契約の招待選手としてクリーブランド・インディアンスに入団。
しかし開幕ロースターには残れず、マイナー行き。
そしてニューヨーク・メッツに移籍。シーズン終盤にローテーション投手となる。
最初の数試合は全く目が出なかったが、最終盤になってカーブを主体とする新しい投球スタイルで活路を見出す。
かつての打者を見下ろすような投球スタイルは姿を消したが、経験に基づいた円熟のマウンドを見せている。
それでも四球は多く、かつての「やんちゃ」の面影はあるが、一歩一歩地歩を回復しつつある。
私は、松坂に、リストラなど挫折から再起する中年男を重ね合わせた。
エースのプライドを秘めつつ、再びエースの称号を得ようとする不屈の闘志に、心から声援を送っている。
ついに11差 勝負ありか? パは勝ち越しまであと12
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松坂投手にはどうがんばっても勝てない相手がいるということを教えてもらいました。