野茂も深い。明日は勝手ながら門田博光。
■テックさん

野茂が活躍していた時期にアメリカに住んでいたのですが、面白いことにアメリカ人が見る野茂像はアメコミのヒーローに近いものがありました。無口で影のある雰囲気なのに、登板するとあの漫画のような豪快な投げ方で圧倒する様が超人ハルクのようだと。野茂の場合あまりにも無口でミステリアスなベールに包まれてたのが逆に良かったみたいですね。

レッドソックス時代2回目のNO-NOを達成した翌日、当時の米大統領であったジョージWブッシュが会議の席で参加者(当時のボストン市長)に「昨日のノモは凄かったね」と語りかけて会場がドッと沸くのをテレビで観て、アメリカに住んでこんなに日本人である事を誇らしく思ったことは無い、とその時思いました。

■kint76

95年の春、私は初めて故郷を離れて隣県の大学に進学しました。
一人暮らしの新生活、何もかも目新しい中、テレビではアメリカに渡った野茂の姿が躍動していました。

それまで日本のプロ野球しか知らなかった私は、野茂を通して見るMLBの世界の虜になりました。周りから呆れられるくらいに。
選手一人ひとりの個性、球場の個性、クールなユニフォームのデザイン、すべてが鮮やかに見えたものです。
あの高揚感は今でも瑞々しい記憶であり、強烈なノスタルジーを感じます。

当然野茂のファンではありましたが、並み居る強打者たちも心をときめかせてくれました。
ジャイアンツにはボンズとウィリアムス、パドレスにはグウィン、ロッキーズのブレイクストリートボンバーズも強力。
そんな中、私のお気に入りはアストロズのキラーB’sでした。バークマンではなく、デレク・ベルの方です。懐かしいなぁ。

きっと、野茂の存在が無ければ、私は野球の愉しみの10%も知らないままで過ごしたことでしょう。
そう考えると、感謝してもしきれない存在です。

■tweety0120さん

1996年、ドジャースタジアムに野茂の登板する試合を観に行きました。日曜日のデーゲームで、到着した時には既にゲームが始まっており、レフト側の上方にどうにか席をとることができました。野茂は豆粒ほどにしか見えませんでしたが、あのトルネードは遠くでもはっきりとわかりました。そして三振を取るたび、満員の観衆から地響きのような歓声!
遠くに見える日本人の投手が、この巨大なスタジアムの声援を一人で受け止めている。
どなたかが「高揚感」という言葉をつかっていらっしゃいましたが、その時感じた誇らしい気持ちと高揚感は、本当に半端なかった。18年たっても、まったく忘れられません。
試合後に行ったスタジアムのショップで、野茂のジャージーが現地のファンに飛ぶように売れていたこと、小さな男の子が本当にうれしそうに「NOMO」を着ていたことも、強烈に覚えています。

野球ファンとして、今MLBで大活躍している日本人に対する誇らしい気持ちは変わりませんが、あの頃、メジャーリーグの選手として存在していたのは野茂ただ一人だったし、その後野茂に続く選手がいるのかどうかも、誰にもわからなかった。
18年前に野茂を見て感じたのと同じ高揚感は、もう2度と感じることはないでしょう。

■哲さん

イチローの項で学校帰りにイチローを観に行けるという環境がいかに素晴らしいことであったかとコメントしましたが、イチローがまだ鈴木だった頃、グリーンスタジアムのスター選手は高橋智でした。
しかし高橋智だけを観に行く気にはさらさらなれない(笑)トラキチの自分は対戦相手をチェックして足を運ぶわけです。その目玉の一人が野茂英雄でした。
野茂が投げブライアントが打ち捕手の中島聡が投手の星野伸之よりも速い球を返す、嗚呼古き良きパ・リーグ。
まさかその数年後にイチローという不世出の選手が現れ野茂英雄はメジャーリーグという新たな野球を教えてくれるなど想像もしなかった思春期の自分に「今観てる風景は貴重なんやで」言ってやりたいです。
トルネードと振り子の真似したことないあの時代の野球ファンているんでしょうかw

■さばくまさん

イチローよりは野茂が好きでした。

今でも野茂より好きな選手は現れません。

0616


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