夜が更けるとともに渋いコメントが重なっていきます。たまりませんなあ。明日は上原浩治。
■テックさん
ずっと180cm位のイメージでした。まさか170cmしか無かったとは!!映像で見たらバットスピードが異常ですね。
■Sundayさん
南海がダイエーに身売りしたとき、関西に残るため門田はオリックスに移籍しました。当時オリックスにはDHとして石嶺がおり石嶺いわく「迷惑な話だ。」それに対して門田は「自分は守備もやる。石嶺には迷惑をかけない。」と言ったそうです。プロ野球という特殊な能力を持った集団の中においても傑出した実績を持つ門田でさえ、年齢とともに周り対する気遣いや遠慮をせざるを得ない、我々サラリーマンと同じような普遍的な時の流れのなかに身をおいてるんだなあと思った事がありました。
■bunchousann
大阪球場でも見たことがあるのですが、はっきり記憶しているのは身売りした翌年、オリックスに移籍したときのオープン戦ですね。
この日は雨。そして憶えているのはアメリカから女性審判が研修のためにやってきたということで、ちょっとした注目を浴びていた日でした。私は中学一年生で、同級生が新年度から転校するということで、思い出づくりのために7、8人で西宮球場にやってきました。
試合は中止になってしまい、ヒマになってしまったクソガキどもは、競輪用のバンクに勝手に腰かけたり、球場の周りをぶらぶらしながら、選手と写真を撮ってもらったりしていました。私は特に必然性もなかったのですが、野中徹博(この年だけ登録名が違ったようですが)に声をかけて写真を撮ってもらいました。
通りがかった門田にも声をかけようとしたのですが、やはり大物のオーラを感じてしまい、結局声をかけられず、手元に残ったのはブレブレの半身の写真だけだったというオチでした。
ああ、それと大阪球場最後の試合も行ったんですよ。確か中間テストの日で部活がなかったので、土曜の午後がフリーだったんです。むろん、チケットは売り切れ。球場に入ることもかなわず、日本橋の電気街で空しくテレビを見ました。そういえば、当時、大阪球場はどこかに秘密の入り口があって、タダで入れるんだと誰かが言っていましたね。そんな都市伝説にさえすがりたくなったものでした。
■arrowjpさん
わたしが初めてプロ野球を見たのが、1974年大阪球場での南海-阪急戦でした。当時小学生のわたしが父親に頼んで連れて行ってもらいました。
わたしは阪急ファンだったので、南海の選手は野村以外はあまり知りませんでした。スコアボードにあった「門田」の文字をなんと読むのかがわかりませんでした。門田の最初の記憶はその読み方がわからなかったということでした。
後にその門田がオリックス・ブレーブスに来ることになるとは。
ブーマーとのハイタッチでの脱臼は、球場で見ていました。ホームランの喜びが一瞬にして消されてしまいました。
「門田博光」「他の選手」についてコメントを是非お寄せください!
↓
オフチューブって何だ?
好評発売中。アマゾンでも!
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。 河野昭修、本塁打大全
『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。
ずっと180cm位のイメージでした。まさか170cmしか無かったとは!!映像で見たらバットスピードが異常ですね。
■Sundayさん
南海がダイエーに身売りしたとき、関西に残るため門田はオリックスに移籍しました。当時オリックスにはDHとして石嶺がおり石嶺いわく「迷惑な話だ。」それに対して門田は「自分は守備もやる。石嶺には迷惑をかけない。」と言ったそうです。プロ野球という特殊な能力を持った集団の中においても傑出した実績を持つ門田でさえ、年齢とともに周り対する気遣いや遠慮をせざるを得ない、我々サラリーマンと同じような普遍的な時の流れのなかに身をおいてるんだなあと思った事がありました。
■bunchousann
大阪球場でも見たことがあるのですが、はっきり記憶しているのは身売りした翌年、オリックスに移籍したときのオープン戦ですね。
この日は雨。そして憶えているのはアメリカから女性審判が研修のためにやってきたということで、ちょっとした注目を浴びていた日でした。私は中学一年生で、同級生が新年度から転校するということで、思い出づくりのために7、8人で西宮球場にやってきました。
試合は中止になってしまい、ヒマになってしまったクソガキどもは、競輪用のバンクに勝手に腰かけたり、球場の周りをぶらぶらしながら、選手と写真を撮ってもらったりしていました。私は特に必然性もなかったのですが、野中徹博(この年だけ登録名が違ったようですが)に声をかけて写真を撮ってもらいました。
通りがかった門田にも声をかけようとしたのですが、やはり大物のオーラを感じてしまい、結局声をかけられず、手元に残ったのはブレブレの半身の写真だけだったというオチでした。
ああ、それと大阪球場最後の試合も行ったんですよ。確か中間テストの日で部活がなかったので、土曜の午後がフリーだったんです。むろん、チケットは売り切れ。球場に入ることもかなわず、日本橋の電気街で空しくテレビを見ました。そういえば、当時、大阪球場はどこかに秘密の入り口があって、タダで入れるんだと誰かが言っていましたね。そんな都市伝説にさえすがりたくなったものでした。
■arrowjpさん
わたしが初めてプロ野球を見たのが、1974年大阪球場での南海-阪急戦でした。当時小学生のわたしが父親に頼んで連れて行ってもらいました。
わたしは阪急ファンだったので、南海の選手は野村以外はあまり知りませんでした。スコアボードにあった「門田」の文字をなんと読むのかがわかりませんでした。門田の最初の記憶はその読み方がわからなかったということでした。
後にその門田がオリックス・ブレーブスに来ることになるとは。
ブーマーとのハイタッチでの脱臼は、球場で見ていました。ホームランの喜びが一瞬にして消されてしまいました。
「門田博光」「他の選手」についてコメントを是非お寄せください!
↓
オフチューブって何だ?
好評発売中。アマゾンでも!
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。 河野昭修、本塁打大全
『「記憶」より「記録」に残る男 長嶋茂雄 』上梓しました。
広尾晃 野球記録の本、アマゾンでも販売しています。